1位「Yahoo!掲示板の徒労な人」
FMCでも取り上げてる「熊大医学部イッキ飲ませ死亡事件」のトピがYahoo!掲示板熊本版にあって、その中で必死こいて加害者を擁護している人がいる。その論調が「真実を私は知っているけどここでは言えない」これ一筋。あんたリーブ21の松崎しげるか?ってね。私も最初は論戦に参加してたけどさすがにアホらしくなった。馬鹿の相手しているヒマはないぜ。

2位「浅田飴ニッキ」
風邪で咽を痛めたとき、薬局でついでに買ったもの。懐かしい味でなかなか宜しい。ホントに効くかどうかはわからないが、なんとなくいいみたいではある。

3位「緑亭のチキンカツ定食」
FMCスタッフ御用達の出前可能店は「東天ラーメン」「ラーメンごえんや」「定食の緑亭」「中華料理森都苑」の4軒。出掛けて食べるのは「定食の花いちもんめ」「手打ちうどん五平太」。で、最近お気に入りなのが緑亭のチキンカツ定食。ここのチキンカツは旨い!

4位「モーニング娘。」
基本的にアイドル好きなのと、うさん臭いメッセージ性を加味したコムロ系に閉口していたところに出て来た80年代パクリサウンドが心地よい。

5位「トマトジュース」
野菜嫌いじゃないのだけど、摂取量が少ないので最近トマトジュースとか野菜ジュースをよく飲んでます。なんか調子いいみたい。





・毎週日曜「FMC番組生出演」
・日曜の夜は鍋大会(ホントに毎週恒例!!)
・2月8日「山鹿市イベント」講演。
・新TV番組(熊本ローカル)企画中!
・FMCのスタッフ強化を思考中。
・愛娘楓ちゃん育児を楽しんでいる。

「そりゃあんた、立派な神経症だよ」
ベテラン精神科医にそう言われたことがある。

1994年、私は福岡のあるテレビ番組のプロデューサーであった。
局と代理店とが反目しあい、誰が真実を語り、誰が虚偽を語っているのかさえ全くもって判別出来ないほどの見事なドロ沼状態の中で、私は必死にもがいていた。
誰も助けてはくれない。しかし私は笑顔を装おっていた。

強靱な精神力を持ったつもりでいた私は、孤立無援の中、セットや小道具を自ら作り、台本を書き、右も左もわからないAD達に平文の業界用語を伝え、本来ディレクターの職責である分野まで首を突っ込むことを受容していた。しかもドロ沼の中で…。

いろんな大切なものを失って番組は1クールで終了した。

録画済みの最終回がオンエアされているであろう深夜1時…。私は新宿の裏通りを当てもなく歩いていた。
携帯で留守電を聞いてみると「お疲れさまでした。いい経験をさせてもらいました」の声。出演者の女子大生からの労いの言葉だった。
そのメッセージを聞き終えた瞬間。ほんとに瞬間だった。
ほとんど記憶喪失と言ってもいい。まるで人格から個性をスっと抜き取るかのように、私はあらゆる「やる気」がなくなってしまった。

いつもならテレビを観ながら「こんな視点じゃダメだ」「俺ならこうカット割りする」そんな野次馬的論評を加えつつ、自分の企画力の源泉にエネルギーを集中していた私であったが、瞬時に源泉が枯渇してしまったのである。

全く企画が出て来なくなった。という以前に総ての「やる気」が消え失せてしまった。

仕事のオファーを断わり、友人と出歩くこともなく、ぼんやりとした10ヶ月が過ぎた。やる気がなくなったと言っても日常生活は至って普通なのだが、ただ「やる気」が出ないのだ。

心配した知人の勧めもあって、私は熊本のある広告代理店に就職した。
驚いたのはギョーカイの旧知の連中。あのParaTが何で就職なんか?…大方の疑問は皆同じだった。

今だから言えるのだが、就職した理由はただ1つ「やる気」がないから…。
誰かがテーマを与えてくれたものを受動的にこなせば給料がもらえる。その程度の怠惰な思考であった。

入社して数週間が経った。まるでやる気のない私は、上司や同僚の顔もようやく判別するかという程度で、 働く彼等を尻目に、取材と称しては近くのシティホテルのトイレで読みたくもない本を読み、観たくもない映画を眺め、仕方なく自転車で熊本市内を一周したり、という完全な給料泥棒に成り下がっていた。

いよいよやる事がなくなった。
まだやる気があれば自殺という選択肢もあった。しかし、それすらやる気が起きないのだ。

やることがない。
「とりあえず行ったことがない所に行ってみよう」…この程度でも窮余の策である。

因に会社支給の名刺の効果は絶大で、施設や役所、ちょっと話題のオフィス、どんなところでも怪しまれずに私を受け入れてくれた。

相変わらずやる気は出ないのだが、訪問先で黙り込むわけにもいかず何かしら会話となった。
当然、議論に発展するものもあった。こっちはやる気がないから、お説ごもっとも!おっしゃる通り!を連発するのだが、そう言い続けている裏側で「ふん!何言ってやがんだい!!」という声が囁き始めていた。

あんまりぶらぶらしていたもんだから、あるイベントのプロデュースを任せられてしまった。
やる気はないけど、クライアントの打合せなんかに出かけなければならない。
この時のクライアント側の担当者はかなりの大物だった。ここで言う大物とは「馬鹿者」ということ。
「ふん!何言ってやがんだい!!」が鮮明に聞こえ出した。

そして1日中断続的に「ふん!何言ってやがんだい!!」が叫び出した。
テレビを観ても、街を歩いても、風呂に入っていても・・・

「ふん!何言ってやがんだい。俺ならこうするぜ!!」
遂に枯渇していた泉が復活した。私は帰って来てしまった。

2ヶ月弱しか在籍せずに辞めた会社には恥ずかしいのと申し訳ないのとで未だ顔も出していない。

それから1年後。あるイベントで知り合った精神科医に、この一連の出来事の詳細をつらつらと話す機会があった。

「そりゃあんた、立派な神経症だよ。1人で背負って突っ張り過ぎて、物凄いストレスがかかっていたのに笑ってた…うん。強がり過ぎたのね。で、それが終わった途端にポキっと折れちゃったんだね。でもよく戻って来れたね」確かそんな事を言われた。

でも、戻って来ただけではなかった。
「ふん!何言ってやがんだい。俺ならこうするぜ!!」
今度は口に出して言うようになっちまった。
しかも、怒ることを隠して作り笑顔で堪えることがなくなった。
あーあ、極端な人生だねぇ。



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