KUMAMOTOへの叱咤激励のつもり

96年7月号「KUMAMOTOは燃えているか」

 さっきワイドショーを見ていたら「母親がパチンコに熱中!!車内に置き去りにした子供が灼熱死」というのをやっていた。「ああまたか…」と思う。愚か過ぎると思う。罰として母親を同じ条件の車内に閉じ込めて地獄の苦しみを与えてやるべきだと思う。第一あれは過失とか言う生易しいものでは無い。これだけ同様の事件が毎年各地で起きている以上、知識として車内温度の過酷さは十分認識していたはずである。絶対に過失ではない。はっきり言うぞ、絶対に「殺人罪」を適応すべきだ!!

 ところで見過ごしがちなのが「パチンコ依存症」の女性が激増しているという事実である。熊本・宮崎・鹿児島と言えば全国有数のパチンコ過密地帯である。俺は喧嘩を売る意味で断言する「パチンコ過密地帯とはT馬鹿Uが多く住んでいる地帯である」…。パチンコファンは「パチンコは健全な娯楽だレジャーだスポーツだ」と言うが冗談じゃない。姑息に人々の射倖心を煽っているただのバクチではないか。そんなもんの人気を煽るマスコミの姿も実に醜い。「パチンコ番組に関わる全ての者は恥を知れ恥を!!」

 さて、まとまった空き地さえあればすぐにパチンコ屋が出来てしまう熊本というところを分析してみようか。まず、デベロッパーも広告代理店もそしてメディアもおしなべて「頭が悪い」と思えることが多い。ところが彼等はこう自己弁護する…「熊本の人は先端的なものを求めていない、現状維持つまり保守的なんだよ」

 あはは、やっぱりこいつら馬鹿だ。現状維持と保守を混同している。現状維持とは時代に逆らいながらかたくなに前へ進むことを拒むことを言う。保守的とは現体勢を大切にしながら時代の流れを敏感にキャッチして前に進むことを意味するのだ。はっきり言おう、君達がやっているのは「怠惰な現状維持」なのだ。とどのつまり、時代のセンサーであるはずのデベロッパーも代理店もそしてメディアも全てT市民を舐めてかかっているUのだ。要するに、怠惰で愚鈍な市民に新しいものを見せたってしょうがない…というのが本音の見解なのであろう。でなければこの街の文化的現状は説明がつかなくなる。

 熊本という街がどんどんつまんない方向に進む構造的な問題は他にもある。「肥後の引き倒し」と呼ばれるT出る杭を寄ってたかって引き抜く県民性Uというトラウマである。俺は熊本でもかなりブッ飛んだことをやり続けているし、それなりに目立つことも何度もやっているが、引き倒された記憶は正直言って無い。強いて言えば、飲み屋で偶然知り合ったブティック経営者が「こないだJOIN(fmcの前身)を聴いたんだけどかなりパワーダウンしていたなぁ…」などとぬかしたことがある。彼は私がそのJOINの首領だとは知らずに語っていたのだが、実はこの頃は仕事が忙しくてミニFMどころではなく、JOINはオンエアなんかしていなかったのである。こういう先端文化をきどった連中でさえ堂々と卑劣なデマを流すのには幻滅させられたものだった。でも、県民性としてよく語られる「肥後の引き倒し」というのは果たしてどうだろうか、本当にそうなのだろうか。さっきトラウマという言葉を使ったのには実は訳がある。猜疑心…つまり、引き倒されるのではという不安感が先に立つことによって、自立することをためらってしまうのではないか。そんなふうに思えてならないのである。何故なら、このコーナーでの私の熊本文化批評に対し多くのリアクションが返って来ているのだが、彼等の多くが熊本に対する危機意識やフラストレイションを増大しつつ現状改革の必要性を認めている。だが、自分から何かをしようとは思わないという消極的な思考に縛られた人物が多いのもまた事実であった…。要するに一種の「金縛り状態」なわけだが、当たってるかどうかわからないけれど「肥後の引き倒し症候群」という怪しいトラウマが彼等のDNAに頑固にインプレスされてしまっているのではなかろうか?…ちなみに俺もその症候群に感染しているきらいがある。だが俺は他人が嫌がることをわざとやったり喧嘩の大バーゲンセールを平気でやってのけるのを好む偏質的なところがあるから仮にキャリアであったとしても発病しない特異体質のようである。大体「肥後の引き倒し」なんてのは細川藩以降、国替えもなければ対薩摩ということで民衆の移動もほとんどなかった言わば「血の濃い」肥後国衆が自然に生み出した「目立たず細く長く」という生き残り策に過ぎん。今さらこんなもんが通用するほど世の中マヌケではない。早くこんなトラウマから抜け出した方がよろしい。

 とは言え私は思う。べつに君達が熊本に新しい文化を生み出す尖兵になる必要はないし、熊本を変えよう!!なんてスローガンを叫ぶ必要もない。ただ、好きなことを好きなようにやればいい。現に俺も熊本を様々な角度からしつこく批評しているけれど、熊本に新しい風を吹かそうなんて思っていない。とりあえず自分の周囲にだけ自分好みの風が吹いてくれればそれでいい…と思っているもの。自分の回りだけ自分にとって気持ちいい空間を作ればとりあえずいいんじゃないだろうか。そんな奴が増えてくれば放っといたって街は変っていくし、結果的に面白い街は出来上がっていくものである。そのプロセスをシュミレーションしていくのがコンセプトプロデューサーとしての私の仕事ということで、まあ私はいろいろ考えているが、それはまた別のお話…。

 とここまで書いてきたが、書きながらちょっと違うぞということも沸き上がってきたので最後に言わせてもらおう。このコーナーにいろんな奴からのリアクションが来ていることはさっきも書いた通りだが、皆それぞれ一流の意見を持っているご様子ではある。しかも「肥後の引き倒し症候群」なんか気にせず様々なアクションを展開している奴もいる。だがはっきり言わせてもらう「お前らレベル低いぞ!!そんなんで言うほど全国に通用するとでも思ってるのか?もっと世間を知って出直して来い、喝!!」…一応これは俺の愛情表現だと認識して頂きたい。熊本にはT無知な井の中の蛙UとT理論武装した井の中の蛙Uの2タイプが居て、お前らは一歩間違うと後者の陣営にハマってしまう危うさがある。俺はこの手の奴を今までイヤと言うほど見てきてうんざりしているのであえて警告させてもらう。井の中の蛙はカッコ悪過ぎるぞ。

 さて、KUMAMOTOは燃えているか?そんなタコなサブタイをつけて書き始めたわけだが、少なくともあと10年は俺は熊本に住んでいると思う。第一東京に住むのは疲れる。福岡はいいところだが、福岡に住んでる熊本人(特にギョーカイの)にろくな奴が居ないので仕事がらみでは行きたくない。だから俺は熊本を死守することになるのだろう多分…。そんな人生もメリハリがあって愉快だ。

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