ParaTが噴火中の雲仙を観に行った話

「寒ざらしとは何か」

1993年7月頃執筆

 久々の晴れである。ほぼ一週間ぶりに現われた青空はスコーンと天空を貫けるようであった。春眠暁を覚えずと言うが気が付いたら10時を少し回ったところだった。「いけねぇ仕事だ仕事だ」と飛び起きたが日曜だということに気付いてホッとした。そうこうしているうちに市電の運転手見習いの島田から「いい天気だからドライブでもいきませんか?」という電話が入った。島田は学生時代わたしのラジオ番組でレポーター風のことをやっていた男だが卒業後、大阪の阪急電鉄に就職して車掌を何年かやった後、今度は熊本市交通局に転職して市電の運転手となった変なやつである。
 別段やることもなかったのだが行くあてもない。
「いいけれどもどこへ行く?」
「どこでもいいですよ。今から出るんで15分位でそっちに着きますからその間に種田さん決めておいてくださいよ」
 フフフ…本当にどこへ行っても良いのだね…と心の中でほくそ笑みながら島田を待つ事にした。

 10分位で奴には不似合いなガンメタル色のワーゲンゴルフが迎えに来た。しかも新車である。さらにローンではなく現金払いだと言う。
 それにしても最近の若造はいい車に乗ってやがる。みんなとってもお金持ちなのね…という感想を道路を歩きながらいつも思ってしまう。別に悪いとは思わないけれど基本的に車なんてのは走れば良いという程度しか考えていない私にとって何百万もするような車というのはリッチな贅沢にしか感じないのである。
 たまにスナックなどに行くとそこのお姉ちゃんが「種田さんって免許も無いんでしょ珍しいわね」とよく言ってくる。珍しくてどこが悪い!と怒りたいところだがここは一つアダルトな大人の魅力を見せておこうと思うので「君、いまどき車の免許なんて何の魅力もないね。僕は電気工事と電話工事の資格があるんだ喰いっぱぐれがないのだよフフフ」とニヒルな笑みを浮かべながらスコッチのオンザロックを流し込むのだがあまりというより全然効果が無い。かえって変な便利屋だと思われるようで甚だよろしくない。どうも電話の取付工事よりもドライブの方が世の女性は興味がおありの様である。
 確かに「へぇー、いいクルマ乗ってんじゃん、今度乗せてね!ウッフン」などと言う若い女は絨毯の中のダニくらい相当数いるようだが「ヘェー、このニッパー使いやすそう。それに半田ゴテもいろんなサイズを持っているのネ、今度貸してね!ウッフン」などと言う女性は実に希である。
 車の話題になると熱狂的になる輩が私の周りにも何人かいるが「他に考える事はないのか」と思う…。ちなみに私は最近では当たり前の流線型空力フォルムは嫌いで四角張ったボデーでしかも丸目の旧型タイプの武骨なのが好きである。だから大学生の定番軟派クルマの代表格を作り続けるH社の奴なんかはどれも鰹節に見えてしまうのは多分俺だけなんだろうな…としみじみ思いながら昔懐かしいコンテッサや旧デボネアに郷愁を感じる今日この頃である。

 話が脱線したので復旧する。我らを乗せたゴルフ号は天草五橋パールラインでお馴染み隠れキリシタンの里「大矢野島」に向かって走り始めた。島と言っても天草五橋のおかげで陸続きである。昨日買ったばかりの金井夕子「パステルラブ」が入っているCD(懐かしいだろ!持ってる人はこの曲を聴きながら読んでくれ)を聞きながら快調に海岸線を走り抜ける。男二人の海岸ドライブなんてのはしまらない話だなどとため息を洩らしながらクルマは進む。

 大矢野島は天草五橋の一号橋を渡った所なのだが、そこにデッカイ天草四郎像が出来たっつんで見に行こうという小旅行である。写真では見た事があるが眉太で肉付きが良くまるで健康優良児のような天草四郎である。美輪明宏が見たら腰を抜かしそうなパワフルさである。ついでにチクワ工場もセットになっているそうだから天草四郎も俗化したものだなあ。そんな俗化したものを見に行こうという我々も所詮ただの俗人なのだろうか…と独りで哲学しているうちに宇土半島の突端で大矢野島とは一号橋を挟んで対岸に位置する三角町に着いた。そこには海のピラミッドという得体の知れない建築物がありそこから島原行のフェリーが出ている。休憩のつもりでゴルフ号を止めて海を見ているとなんとなく船に乗りたくなってきた。ほとんど標ない旅だ(by永井龍雲)。気が変わるのも早い。急遽、島原に渡って有名なカンザラシとやらを食べてみようというグルメな行程に企画変更となった。眉太の四郎殿との対面はいずれまたということにしよう。

 うまい具合にフェリーもあったので気付いたら船上の人となって火砕流やら土石流でお馴染みの雲仙普厳岳が背後に鎮座している島原へと向かっていたのである。(ちょっと話の展開が早かったのでパステルラブは1コーラス途中あたりで終わってしまったようだ…すまない)
 それにしても日曜日のお昼しかも快晴である。なのにフェリーにはたったの7台しか車が載っていない。やはり災害の波及効果はすごいものだ。霞の向こうから普厳岳が見えてきた。今までテレビや新聞でさんざん見てきたアングルだがやはり生の迫力にはかなわない。大火砕流が心配なら溶岩ドームが成長する前に護衛艦の艦砲射撃で先に破壊してしまえばよかろうなどと極めて安易な作戦計画を練ったりしていたが目の前に広がる大パノラマの光景はそんなものでは歯が立たない自然の神懸かり的驚異と人間の無力さを感じるには格好のサンプルのようである。眺めているだけでなんとなく「お許し下さい」「すまなかった」「せめて命だけは」という気持ちになってきてしまう。

 島原に着いた。なるほど火山灰だらけの街並である。「火山灰によるスリップ注意」なんていう立て看板も随所に見かける。
 我々「種田守倖とグルメな一味・臨時特別機動部隊所属本場ドイツ製ゴルフ号」は島原名物カンザラシを求めて遥々熊本からやって来たわけだが下調べもなんにもやってないのでどこにカンザラシがあるのかわからない。とりあえず島原城に向かってみる。貧困なイメージだがいかにもきれいな水が湧き出てきそうだからである。

 島原城まで来たので一応城内に入ってみる。このお城は天守閣のある本丸まで車で登れるので便利だ。
 本丸広場はニュースで見たあの自衛隊のベースキャンプであった。60式装甲車やジープなど私のような軍事プラモ愛好家にはなかなかヨダレものである。さっきのクルマの話ではないがどうもこの軍事機材関係に対する興味は圧倒的に男子偏重のご様子である。戦争は大嫌いだが戦闘メカは大好きなのだ。ともかく硬派なのである。
 しかしながら最近は女性以上にファッション関係に詳しいナンパな男もいてTVなんか見ながら「これってジャンフランコフェレだよね、あ!ベルーサーチとアニエスベイだ。今度のニューモードはなかなか可愛くまとめてるね」などと素晴らしい識別能力を持った御仁も急増中である。だがやはりわたしの場合、スティーブマックインの大脱走なんか見ながら「キューベルワーゲンはいいよね。ごついけど四人乗りなんだ。水陸両用のシュビムワーゲンなんてのもあるしね。このサイドカーはBMWなんだけどこっちのバイクはツェンダップだね」などと言うのが正しい男の在り方だと思いたい。まあどうでもいいとも思うが…。
 それにしても自衛隊っつうのは観光客へのサービスが旺盛だなあ。なんとなく学校の文化祭のようでもある。普厳岳関係の航空写真や捜索現場の写真があちこちに立ててあり訪れた観光客に見せてくれている。
 また「ここから普厳岳みえます」という看板のあるところに行ってみると高倍率のカニ型双眼鏡が設置してあって観光客に順番で溶岩ドームを見せてくれる。その横には幹部隊員が1人座っててガイドをしてくれる。もちろん無料である。私も覗かせてもらったがパックリと裂けた溶岩の間から不気味に立ち昇る湯気をはっきりと見る事ができた。
 この溶岩ドーム無料展望台のすぐ脇に自衛隊報道センターというプレハブ小屋が建っていた。何があるのだろうと思ったのでちょっと覗いてみたら室内に数台のテレビが設置してあった。監視カメラかなにかで溶岩ドームを映しだしているのかなと思ったが単なるNHKと民放のエアモニであった。そこにいた自衛隊員は近所の子供の相手をしながら高校野球を見ているというのんびりとした光景である。なかなか平和的かつ叙情的な雰囲気であった。
 それにしてもここにいる島原救援の自衛隊のサービスぶりっつうのは徹底しているような気がした。もっともカンボジアPKOやその他の地域で他の自衛隊の皆さんが島原同様にやっているかどうかは判らないので偏差値は出せないけれども何にせよ島原の自衛隊の皆さんお疲れ様でございます。

 島原城の土産売場の売り子さんに「カンザラシの店しりません?」と島田が関西なまりで尋ねたら1枚の薄い紙でできた観光マップをくれた。なかなか親切である。目的のカンザラシの店は余程有名な店らしくちゃんと観光マップに場所が載っていた。なんと海岸近くだそうである。そんなとこにきれいな水が湧くのかねぇと不信感をつのらせながら一路「銀水」という名の目的の店に向かう。

 さっきから何度もカンザラシという名称を使用しているがカンザラシとは何なのか知らない人もいるだろうから一応説明しておくと、白玉だんごとガラスの瓶に入った蜜が湧き出る地下水の流れに漬けて冷やされている。それをガラスの器に入れて食べるという実にシンプルな食物である。私はテレビなどでなんどかそのカンザラシの店「銀水」を見た事があった。店の名前はすぐに忘れてしまったのだがカンザラシという涼しげな響きに妙に心が惹かれていたのである。
 私は餅とか白玉だんごの類が大好きである。私の母親は東北の仙台の出だが子供のころ夏になると枝豆をすりつぶして甘く味付をした餡をかけた「ずんだ餅」というのをよくおやつにしたものである。ずんだ餅というのは東北地方の名物だそうで、枝豆の鮮やかな緑と餅の白さが見事に印象的でまさに視覚から飛び込む美味しさである。もう10年以上お目にかかっていないが、こんど東北に行く機会があれば本場のそれを味わってみたいものである。

「銀水」に着いた。テレビで見た通りのおばあちゃんが一人で切り盛りしている。なんとなくひんやりする心地よい空気が店の中に充満している。水の流れる音も心地よい。なるほど落ち着く店である。銀水という名前も涼しげで良いではないか。いろんな芸能人も来ているらしく写真やサインが一方の壁にびっしりと貼られている。とりあえずカンザラシを注文した。
 おばあちゃんはどういうわけかだか常に水の中に手を浸している。そういえばTVのインタビューでも「昔から手を水に浸している」と言っていたなあ。いつも清らかな流水に浸しっぱなしの歳を感じさせないまさに瑞々しい手で白玉だんごをサッとすくいとりガラスの器にポロポロッと入れ、瓶に入った琥珀色の蜜をサッと注ぎ込む。スプーンを差し込んで「どうぞ」と目の前にカンザラシを置いてくれた。動きに無駄がない。これがカンザラシだぁ!という期待感が爆発して叫びそうになるほんの直前に白玉を一つ口中に流し込んだ。すると…
「…おやあ?なんだあ?甘いなあ…あんまり冷えてないなあ…ブツブツブツ…」
 要するにわたくしの涼味に対する期待は完璧に裏切られたと思ってしまったのである。あんまり冷たくもなく爽やかな甘さでもない。
「なんだか田舎臭い味だなあウーンこんなもんかあ…」とこの時点ではそう思ったのである。
「とりあえずさっさと食べて店を出てどこかでシャキシャキのかき氷でも食おうかな」と思ったその時!
「おやあ?なんだあ?うまいなあ!丁度いい冷たさだなあ!」と口中の全センサーからの情報が急激な変化を始めたのである。今迄さんざんいろんなものを食ってきたがこんな気持ちは初めてだった。ともかく相対的に「旨い」という評価にドラスティックに変わり始めたのである。劣性だった究極のメニューが至高のメニューに大逆転して海原雄山が苦虫を噛みつぶしている状況である。

 単なる白玉に砂糖と蜂蜜をベースにした黄金糖(純露でも良いがカンロ飴ではない)みたいな味の蜜をかけただけのシンプル極まりない一品なのに何故だか旨い。思わずおかわりをしてしまった。おかわりをするとシンプルな味の中に透き通った甘味と涼味のハーモニーがより一層感じられてきてジーンときてしまった。カンザラシは二杯以上食うべきだという結論で島田と同意する。
 私は多分こう思うのである。我々現代人はやたらと冷たいものに毒されているのではないか。日本全国津々浦々どこへ行っても自動販売機で清涼飲料水は手軽に買える。冷蔵庫を開けるとギンギンに冷えたビールや麦茶が入っている。さらには「勝手に氷!」である。我々現代人が持つ冷たさの基準は絶対零度に向かって次第に下がっていったのである。つまり昔の冷たさと今の冷たさは違うのだな…ということを私は発見してしまったのだよ諸君。
 で、カンザラシは自然な昔ながらの冷たさである。今の基準で言えば「ぬるい」のである。しかしそれは非常に体にやさしい冷たさだ。カンザラシとは言うものの「寒」ではなく「涼」がその中に存在していたのである。何杯食べたってコメカミは痛くならないしお腹もそれほど冷えない。しかしながら汗はちゃんと引くし喉も潤う。本当の涼食とはこれだと認識すると同時に物凄いカルチャーショックに襲われたのである。銀水のおばあちゃん(ちなみに中村さんという)万歳!なのである…。そういえば福岡市の私の事務所近くの浄水通りに「ミス・マーベルマーサ」という非のうちどころがない物凄いパーフェクトなバーがあるのだが、そこのマスターが「イギリスでは今だに氷が貴重品でパブでコーラを頼んでもキューブアイスが一個だけなんてのは当たり前だそうです」と言っていたのを思い出した。やっぱ日本人てのは冷たいものという点でも贅沢なのかもしれんなぁとしみじみ思った…。

 ところでこの銀水の水は店のすぐ横にある浜の川湧水から引いたものなのだが、この浜の川湧水という奴は海岸べたにありながら不思議と名水百選にも列せられるくらいの清水である。凡そ二百年前に起きた雲仙の噴火に際に隣の眉山が大崩壊して多数の死者を出したいわゆる「島原大変」で海岸に向かって崩れた土砂から突如清水が噴出したのが浜の川湧水なのだそうだ。世の中にはおもしろいものがまだまだあるのだなと感心する。
(1991年夏の原稿に一部加筆)

※「銀水」MEMO
 二百年前の島原大変の際に海に向かって崩れた眉山の土砂から突然清水が噴出した。現在もその水は湧き出ていて名水百選にも数えられている。その水で作られた白玉と蜜をその水で冷やして供する店、それが銀水…。

住所/島原市白土桃山2丁目 浜の川水源隣り
電話/0957−62−2682

※文中の銀水のおばあちゃん(中村はつよしさん)が高齢のためお亡くなりになったそうです。慎んで御冥福をお祈り致します。

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