1993年10月頃執筆 私の本業とは何なのだろうかとふと考えることがある。お店や商品の企画開発をやったり、テレビやラジオの番組を企画してみたり、こんな文章を書いたりもしている。まあ何でも屋ということだろうか…。それらの中でもちょっと異質と言えるのはラジオのパーソナリティという仕事である。
毎週土曜日の16時からの1時間、私は佐賀県のエフエム佐賀という放送局で「ウイークエンドストリーツ」という番組を担当させてもらっている。
「なんでまた佐賀なんかで?」という声をちょくちょくかけられてしまうのだが、別段とりたてて事業拡大の野望とかそんなことではなく、偶然番組出演のお話が来たからお受けしただけの話である。
「でも佐賀って地味過ぎない?」などとさらに追い打ちをかける差別的な発言もよく耳にしてしまう。確かにお世辞にも佐賀は都会的とは言いがたい所ではある。これは佐賀周辺の福岡・熊本・長崎の各県民の勝手な意識というわけでもなくて、佐賀県民の中にもどうやら同じ意識がおありのご様子である。例えば玄界灘に面した唐津市の人は自らを福岡圏の一員という自覚を持っていて佐賀県民であるという意識は相当に低い。もっともここから福岡市まではJR筑肥線と相互乗り入れしている福岡市営地下鉄を経由して僅か1時間の距離である。通勤圏なのである。
この他、九州の流通の要と言われる鳥栖市の人もすっかり福岡人気取りである。要するに県民意識のレベルが地域によってバラバラでまとまりがないのが佐賀県のネガティブな一面であるような気がする。そんなことだから宴席で「長崎と福岡とで半分づつ割譲してしまおう」などと言う帝国主義的な列強諸県民の勝手な会話が佐賀県民の知らない所で飛びかったりするのである。
そんな佐賀での仕事がスタートしてから1年近くが経過した。「やっぱり佐賀はダメね」と思うこともあったし、「こんなに素晴らしいものがあるとは意外」と思うこともあった。何人かの地元の人とも知り合いになれたし、「こんな所では仕事が出来ん」と言って出て行った人もいた。まあドラマであるな…。ドラマがある以上そこには人がいるわけで人がいるからこそ生活がある。そして生活の中には必ず文化が息づいている。ということは佐賀にだって興味深い文化が存在しているはずである。だから街の大きさとか産業の度合いなんていうのは経済的な差別化の対象にはなるけれども、人的文化の比較対象にはならないのである。むしろ何にも無いことを自慢出来るくらいの心の余裕があればきっと素敵であろう…などと思ったりするのである。
9月のとある土曜日の朝10時、福岡の事務所である。事務所と言ってもただのワンルームマンションで一応寝泊りも可能という雑然とした空間だ。このとき私は目覚まし代りの朝風呂に浸かりながら伸ばしているヒゲを剃るべきか残すべきか思案中であった。ラジオ番組だから見てくれは全然関係無いのだが、この日はなんと地元のタウン誌が取材に来るということになったので悩んでいるのである。ただの不精ヒゲなのだが一部で評判が宜しかったりしてそのまま伸ばしていたのであった。だが「不潔な感じがする」とか「貧相に見える」などという悪評も多く「写真映りが悪くなるぞ、ファンを失うぞ」とも言われて素直に剃ってしまおうと決意していたのであった。だが、いざその段になってみると何だか勿体ないような気がする。躊躇しまくりの降着状態に陥った。だが、ここは思い切りの良い事で定評のある私のこと「まあいいや剃っちまえ」と二枚刃の剃刀を「えいやっ!」とやれば見る見るうちに元の男前の私になっていくではないか。男前は余計だったがともかくすっきりしたのであった。
福岡名物マルタイの棒ラーメンを遅い朝飯代りに食し、新聞などに目を通したり掛かってくる電話の対応などしているうちにお昼になったので、あらかじめ用意していた荷物などを抱えて近くの薬院大通りバス停に向かった。集合場所であるJR博多駅には西鉄バスで10分位で到着である。
13時、博多駅コンコース内のミスタードーナツ前に立つ。土曜日の午後ということもあって辺りは待ち合わせの人達で一杯である。
足早に急ぐ人達や大きな荷物を抱えた人などの表情をウォッチングしながらボケーと待人の到着を待っている。
「こういうのんびりした時間もたまにはいいもんだ」などと思っていると向い側の柱にもたれている二人組の若い女と目が合った。いかにも当世流行のだらしない感じのする女である。
この二人、私の顔を一べつしてお互いに目で評価を確かめ合っているご様子で、どうやら「あの男、どんな奴と待ち合わせしてるのかしら」てなことを言っているようである。こういう時は急に好戦的になる私は「大きなお世話だブス」とストレートに目で答えてやる。そうこうしていると木原ゆうか嬢がやって来た。
「すいません遅くなりまして。白川さんは帰って来られました?」
「いやいや、シラケンは今ごろ広島辺りを走ってるんじゃないかなあ。朝方、東京駅から電話をかけて来て、遅れるけど後から追っ掛けて局に入ると言ってたから大丈夫でしょう…」
さっきの女二人組が意外そうな顔でこちらを見ている。
「ムフフ、いきなり若くて清潔感のするおネエちゃんがやって来たので予想外だったのだな。どうだ参ったか」などと一人で優越感に浸りながらキザっぽく視線を返してやる。そこで急に我に帰った。
「よく考えてみれば実にお粗末な虚栄心であるなこういうのって…」
でも日常のいろんな場面でこういうくだらない虚栄心を呼び起こしてしまうことって最近増えているような気がする…。
なんとなくマスコミとかいろんな媒体が人の見た目とかファッションとかで虚栄心を煽ってはいないだろうか。ある程度大人になって経済力を持った場合はいいんだけど、中学生とか高校生なんかに虚栄心を煽っちゃうと元々小遣いなんて大したことないだろうから変な小遣い稼ぎに走って非行の道へ転落していく事が多い。学生は貧乏で汚いのがおしゃれなんだと力説する正統派のメディアが現われないのはそれらに市場分析能力の偏りがあるからであろう。テレビの出演者が「我々が学生の頃はこんなに貧しかったけど心が通ってましたね」などと綺麗事を言ったあとで虚栄心丸出しカタログみたいなドラマや作為的な流行情報を見せてしまうんだから全く悪貨は良貨を簡単に駆逐してしまうものだと実感する。
昔からそうなんだろうけど若造は常に物事を表面上のみで判断しようとする傾向が強い。事の真相は内面にあるのだけれどそれをアナライズする眼力をまだ有していないのである。例えば理想の結婚相手の条件が金持ちということだったとして常にその判断基準の第一段階は持っている車のランクである。一概には言えないがベンツやBMWを持っていれば結構評価が高かったりする。それでそれにつられて馬鹿なバブル成金男がそんなのに乗って女を引っ掛けようと試行錯誤するのである。私はBMWなんかは結構好きなメーカーだったのだが馬鹿男が増えたんでついに嫌いになってしまったクチの一人である。ちなみにそれらの高級車がどれほどの夢と理想を運んでくれるというのだろうか。せいぜい路上の無差別虚栄心をほんの少しくすぐってくれるだけではなかろうか。それに引き替え私なんかベンツに匹敵するお値段のビデオカメラとかを数台持っているけど普通の女は誰も興味を示さない。こっちの方が人に夢を与える作品も創れるし、実際に電波に乗っかる番組も作れて実利も伴っちゃうってことが判らないんだろうな。本当の夢を追い掛けるよりも一瞬の虚栄心で仮の夢を見る方が手っ取り早いからだろうか。なるほどドラッグが流行るはずである。
やって来た木原嬢はどうやらそういう手合の女性ではなさそうである。ちなみに彼女は私と一緒に番組に出演するパーソナリティで西南大学でフランス文学を学ぶ現役女子大生である。佐賀県鹿島市の出身で多少おっとりとしているが中々芯が強い頭の良い女性である。当世どこにでもいるキャピキャピ女子大生の側面を有しながらも単なるうわべに左右されないしっかりした判断力を有するそういう点では今時珍しい人物である。
もう一人名前があがったシラケンというのは番組のミキシングなど技術全般を担当するエンジニアで九州芸術工科大学の学生である。この日シラケンは仲間と北海道旅行に出掛けた帰りで、新幹線のぞみ号で博多へ向かっていたのである。いつもなら三人顔を揃えてから出発するのだが今日はそういうわけで木原嬢と二人で出発である。
「木原さん。お昼、食べました?」
「ええ今日は食べてきちゃったんですよ。種田さんは?」
「私もさっきラーメン食べたんで…。じゃ行きましょうか」
いつもなら駅弁を買っていくところなのだがこんなわけで今回は無しである。まあ弁当の一つや二つ、ラーメン食った後でも難なくクリア出来る私なのだが、卑しいところをうら若き女性に見られたくないという自己規制が働いてしまった。僕って結構デリケートじゃん。
13時21分発の長崎行き特急ハイパーかもめ21号の禁煙自由席に乗り込む。佐賀まではちょうど40分というところで、駅弁を食べたり軽い打ち合せなどをするには丁度手頃な時間なのである。
14時1分、地方にしては珍しい連続立体交差つまりは高架駅の佐賀駅に到着。会社帰りで利用する人も多いらしく佐賀駅で四分の一位の乗客が降りてしまう。その中に混じって我々も下車、タクシーでエフエム佐賀へ向かう。
ここでいつも困るのはタクシーの運転手の中にエフエム佐賀の場所はおろかその存在をも知らない奴が結構多いということである。エフエム佐賀に出入りしている某タクシー会社の場合はさすがに分かってらっしゃるが、それ以外のタクシー会社だとエフエム佐賀と言ってもまず分からないので「本庄のサガンスクエアビルまで」と言い、それでも分からない場合は「城内を通って南部バイパスに出たところにあるリコーの看板が出ている大きなビル」と言わなければならないのが辛い。タクシーにはほとんどFMラジオが付いてなくて一日中AMを聴いているわけだから仕方ないような気もするが、折角の地元密着のメディアなのだからもっと注目してもらいたいものである。
そんなこんなでサガンスクエアビルに着く。佐賀駅から10分弱である。このビルの三階にスタジオが四階には事務所が置かれている。土曜日はほとんど社員も居ないので我々は真っすぐ三階のスタジオフロアに入り、ロビーを抜けていつもの第一スタジオに入る。
「お早ようございます」
年配の男性が明るく声を掛けてくる。技術の河野さんである。この人は長年福岡のテレビ局で勤務した後、エフエム佐賀開局時に移って来られたそうで大変気さくで話好きな人である。私と河野さんが一旦話し始めると最新のMDがどうしたとか、昔のマイクはどうだったとか技術の話で盛り上がってしまい、ついつい仕事の手を休めてしまうくらいである。
ちなみに放送業界は昼でも夜でも最初の挨拶は「お早ようございます」である。私も変な習慣だとは思っているがそうなんだから仕方がない。
もう一人、私と同い年の川崎さんが布製の手提げ袋を持ってやって来る。放送局とは言うものの、こういう地方のFM局は概して少数精鋭主義である。少ない社員数をカバーする為に一人何役もこなさなければならない。川崎さんもそういう一人で技術からディレクターまで何でもこなすのである。彼が持って来た袋には番組専用のマイクやテーマ曲などが録音されたオープンリールのテープが入っている。毎回エフエム佐賀まで持って来るのは骨が折れるので預けているのである。エフエム佐賀にも優秀なマイクが揃えてあるのだがより私の声に合ったマイクを使いたいという「さすがは元レコーディングエンジニア」というマイク研究家・種田守倖の意向によって持参しているのである。
いつもならミキサーのシラケンがCDやテープなどのチェックやマイクのセッティングなどをテキパキと行なうのだが、今日は彼のスタジオ入りが三時過ぎになるので、私が全てセットするのであった。何せシラケンも学生なんでテストの時などは休むことがある。そんな時は私自らがミキシングをしながら喋るというアメリカのラジオ番組みたいなこともやっているのだ。
セッティングが終わったので再来週に迫った公開放送の打ち合せなどを営業の坂田さんとしているところへ例の取材の女性が現われた。月刊フォーラム佐賀の馬場さんである。
「すみませんお忙しいところ」
「いえいえ、じゃあスタジオでお話しましょう」
などと営業的な会話を交わしてスタジオに入った。番組本番まで1時間程であるのでその間に取材をして頂く段取りである。
月刊フォーラム佐賀は地元のOLなどをターゲットにしたタウン誌である。馬場さんはその編集チーフで20代半ばの明るい女性である。この日が初対面であったがそうとは思えないほど最初から会話がスムーズに走り始めていた。
「実は以前から種田さんのこの番組をよく聴いていまして、なんか佐賀の番組じゃないというか東京からのネット番組だと思っていたんですよ。それが実は佐賀ローカルの番組だと言うんで嬉しくなっちゃいまして」
ムムム、そんなこと言われるとこちらも嬉しくなっちゃうのである。でも普段はこっちが取材をする方で逆に取材を受けるという今回のようなケースは不得手で結構緊張したりするのである。そんな時は緊張をごまかす為にパッと会話を盛り上げて雑談にしてしまうのが種田流インタビュー心得である。今回もスタートからほとんど強引に雑談盛り上がり状態に持っていってしまった。たぶん後から記事に起こすのが大変だったのではなかろうか、悪い相手に捕まってしまったと諦めて頂くことに致そう。
「ところで種田さんの略歴を伺いたいんですが」
「略歴ですか。まあ話せば長いことながら、ざっとお話ししますとですね。大学に入ってから東京で仲間と会社を旗揚げして放送作家やラジオのミキサーやワイドショーのカメラマンなんかやってたんです。それと実家のある熊本でも企画集団みたいなのを主宰してた関係でエフエム中九州ってところで深夜番組のパーソナリティをやらせてもらったんですが見事に1クールでクビになりました。原因は私の問題発言です…へへ…。その後、東京ではマーケッティング関係の仕事にも手を出すようになって軌道に乗ったんですが、上手く行きすぎて社員も増えて仕事を部下に取られちゃって早くも楽隠居状態ですよ。それがイヤで会社を飛び出して福岡に事務所を作ったのが去年の6月ですね」
こういう履歴書的な話は結構流暢に喋れるのである。そんな話をしているところに珍しくネクタイなんか絞めたシラケンがお土産のつまったバッグを抱えてスタジオに入って来た。いつもと違う雰囲気なんできょとんとしている。
「今、フォーラム佐賀さんに取材して頂いてるんよ」
「あそうなんですか、へえ…あ、どうぞお話続けて下さい」と言って副調整室に入り、機材のチェックを始めた。
「でも種田さん、なんか夢を追い掛けてるみたいで羨ましいですね」
この馬場さんという人は私の心をくすぐるのが中々上手いと見える。だからさらに喋っちゃうのである。
「福岡でひょんなことからラジオのディレクターになってしまいまして、今年の四月まで約半年間やってたんですよ。でも番組作りよりもマーケッティングとか商品企画とかの方が自分に合ってるみたいなんで、そっちの方も重点的にやっていきたいですね」
我ながらちゃんとした意見を述べているではないか。ほとんど思いつきに近い状態で喋っているのにこれだけポンポン言葉が出てくるのはやはり生番組というエクササイズの成果であろう。
そんなこんなで話が盛り上がったまま本番数分前となってしまった。こうなると勢いが出るのが種田一派の特徴である。
「馬場さん。このまま番組に出て下さいよ」
「え?困ります。慣れてませんから」
「大丈夫、大丈夫」
てな具合で無理遣り番組に引っ張りだしてしまうのであった。これがフットワークの軽さという奴である。こんなのに一々お伺いを出していたら始まらない。現場の判断で番組の色に変化が出てくるのである。
私の場合、東京の番組制作に絡んでいることもあって多くの人から「東京よりも地方の方が番組が作り易いでしょ」と言われる。一概には言えないがこれは多分逆である。
福岡のラジオ番組を担当してた時もプロデューサー氏からなるべく飛び入り的な要素は避けるように言われたことがある。要するに危険な発言などが発生しにくいようにする為の老婆心的配慮である。このプロデューサー氏はいい人だったので心労はかなりのものであったと思う。なにせ狭い組織なもんで関係のない奴らが本当にどうでもいい小役人的クレームをつけてくるのである。肩書きだけ部長とか専任副部長なんていう役立たずのスダレ頭がごろごろ居て相当に暇を持て余している。そんな輩がやらかす常套手段は内部抗争という足の引っ張り合いである。だからこの場合、外部に対しての配慮よりもまず先に内部の馬鹿面の顔色を窺わなければならなくなる。いやあひどいもんだった。はっきり言ってこんな放送局には免許の再交付はすべきではないと思う。
アルヤンコビック主演の「UHFパロディ放送局」という映画がある。マイナーなので知らない人も多いと思うけれど、この作品の中にこそローカル放送局の生き残る道が見える。興味があったらご覧頂きたい必ず笑うと思う。
というわけで最近頓に放送局の老婆心的配慮が鼻について仕方がない。いろんなところからやって来る重箱の角を突くようなクレームを恐れるあまり様々な局面において無気力な自己規制をしてしまう。これでは現場の勢いは削がれるばかりである。
マスコミの覇者などと賞されるテレビジョンでさえ所詮は電気紙芝居である。少々失敗があったって「すまん」の一言で許せるのではなかろうか。いや、許す土壌を作るべきである。
少々固い話になってしまったので復旧することにする。
馬場さんに飛び入りしてもらったので一つコーナーをつぶして佐賀のタウン誌の話などをすることにした。やはりいつもと違った雰囲気になって番組に心地よい緊張感と不整脈にも似たファジーなリズムが出て来た。要するに変化が出たのである。
ラジオの生放送なんてものはこういった突発的なハプニングを模索して作為的に状況を設定していく作業である。あらかじめ決められた台本通りに事を運ぶのなら生放送形式を取る意味が無い。
エフエム佐賀という放送局の皆さんはそこら辺が中々大らかで、結構私の好きなように番組を料理させてくれる。人間とは不思議なもので拘束されると無茶をやりたがるようになり、放任されるとある程度自分でセーブするものである。そんなお陰で私の番組はライトなハプニング性と放送者としての常識を守ったスタイルに仕上がっている。トーク中心でFM局の番組としては相当異質なものであるが、まあこんな変り者が居てもいいだろう。
16時55分番組終了。結局馬場さんには最後までお付合い頂いた。まだ番組の雰囲気が残っているうちに掲載用の写真を撮ってもらう。一方、副調整室の方では早速撤収作業がスタートしてシラケンがテキパキと片付けている。
いつもなら17時5分に迎えのタクシーに乗り込むという早業なのだが、この日は取材と見学に来ていたリスナーにサインをしたり一緒に写真に映ったりというファンサービスもあってエフエム佐賀を出たのが20分過ぎであった。ここから再び佐賀駅へと向かうのである。
佐賀駅からは博多行の特急に乗り、熊本に向かう私だけが鳥栖駅で下車し木原嬢とシラケンの二人と別れるのだが、この日はお目当ての臨時特急ハウステンボス82号が運休日だったので各駅停車鳥栖行に乗車する。
折角鳥栖で乗り継ぐんだから名物6番ホームの立喰いうどんを食していくことにした。この鳥栖駅のうどんは伝説的な名物で中央軒という弁当屋さんの経営である。2・4・6番の各ホームに店があるのだが何故か6番ホームのが一番旨いと評判である。なにせわさわざ入場券を買って6番ホームのうどんを食べにくる人も居るくらいである。実際はどのホームの店も同じ材料、同じ製法なので基本的に違いはないのだが中々不思議な都市伝説である。実は私は各ホームの食べ比べをしたことがあるが殆ど差は感じられなかった。
ちなみに旨い旨いと言えども立喰いのそれであるので、いわゆるグルメ指向の逸品ではない。庶民的なしみじみとした旨さである。また6番ホームの目の前が何にもない空地で雑草の生い茂った荒涼とした雰囲気である。それがまた絶妙な調味料となっているようだ。近々この地にJリーグのスタジアムが出来るそうだが随分雰囲気も変わってしまうだろうなあ。
ところでこの中央軒は焼麦でも有名である。SPF豚という優れた飼育を行なった豚肉と有機野菜をふんだんに使った焼麦(シャオマイと読む)が素晴らしく旨い。しかも安いのである。保存もきくので土産にはピッタリである。ちなみにシューマイは焼売と書くのが普通だが、本来中国では焼麦と書くのが正解らしい。それで中央軒でもそれまでの焼売を改めて焼麦にしたそうだ。これらは中央軒の橋本社長とお話をしたときに聴いた話である。この人は元は富士通のエンジニアで相当合理的な企画力の持ち主のようである。いずれ改めて焼麦の話を詳しく書いてみたいと思うがともかく鳥栖に名物ありきである。
三百五十円の月見そばなどを食しているうちに18時11分発の水前寺行特急有明が入ってきた。この真っ赤なJR九州色の電車に乗って熊本へ向かうというのが土曜日の私の凡そ決まったスケジュールなのである。
汁をズルッと飲込み、ワンカップ再利用のガラスコップの冷水を流し込み、まだゆっくりと食べている二人に別れを告げて電車に乗り込む。指定された座席に着くころには電車は滑りだしていた。車窓から見える夕暮はすっかり秋の色使いである。