1993年7月頃執筆 食物文化というものに興味がある。人が何を食べ、どう生活に活かしてきたのか。あるいは風土や生活習慣の推移と共に変化していったであろう民俗学的な料理の変遷についても非常に興味があるのである。
なにかの本に人類最古の職業は売春であったと書かれていた。それを読んだ当初は私も「なるほどそうかもしれん…」と思ったものであったが、これは多分誤りであるような気がする。
恐らく本当の人類最古の職種はフードビジネスである。獣の肉とか魚などをさばいて何かの代償と交換する物々交換スタイルで勃興したに違いない。但しその代償が物品だったか肉体的なサービスであったかは知るよしもないが、ともかく今の肉屋や魚屋の祖先が人類の職業的進化の源であったと勝手に思う次第である。
善かれ悪しかれ人類は馬鹿みたいに繁殖し分化していった。数が増えて次第に集団を形成し、それが地域や国という文化の境にまで発展して現在に至っているわけだが、こういった種族の繁栄の為に最低限必要なものは何かと言うとそれは食物の摂取と生殖ということになろう…。
生殖に関して言えば世界中で一番そのヴァリエーションが豊かであるという日本人のそれにしても高々四十八手というところである。ところが一方の食物の摂取ということに関して言えばこれはもうほとんど無限大なのである。例えば豆腐を素材にした料理一つ取っても江戸時代に《豆腐百珍》という豆腐料理のヴァリエーションをざっと百種類紹介した書物が刊行されているくらいで、豆腐だけでも四十八手の倍はあり、それだけでも見事に勝っているのである。その上、そもそも豆腐の原料たる大豆の加工法のヴァリエーションを考えたりすると一晩どころか一生かかってもその全てを認知することは難しいかもしれない。
人間は他人より優れたものを追い求める競争心を本能的に持っている。他人より早く走りたいとか他人より金持ちになりたいとか…。これは食い物に関しても同様なのである。インスタントラーメンを食っている時、いつもと違うように差別化したくて卵や海苔を入れたりするってことはよくあるでしょ。ご飯に平気でマヨネーズをかけて食ったりするのも他人と違うことをやりたいという気持ちがどこかに働いているからではないかと思うのである。
ともかく他人と違うことをやりたいという本能が新しいものを発明したり改良したりする原点の一つなのだと思う。そして、その中で一番端的に現われたものが料理であるような気がする…。料理というものは実に奥が深いのである。実にカルチャーなのである。
私は放送関係の仕事をしている後輩なんかに「番組作りと料理は同じだ」といつも言っている。食料品売場などにある食材から料理法をインスピレーションして調理するという主婦の日常的な作業は実に番組作りに似ているのである。新たな人材やテーマを発見してそれをどう演出していくかというプロセスに本質的に近いのである。つまり料理人が一種のアーティストであるのと同様にディレクターもアーティストでなければならないと思うのである。事実、優秀なディレクターは料理や模型工作などが大抵上手いものだ。
私の友人に料理をほとんどやらずに酒ばかり飲んでいる葛西という男がいる。現在、日本放送協会という団体でディレクターという職に就いている奴で、私とは旧知の間柄である。東京理科大を中退後、慶応大の経済学部に入り直すという元々頭の回転が良い奴なので何でもそつなくこなすようだが、その特異な人格が災いして局内では見事に浮き足立っているようだ。相当な変り者という触込みで全国のNHKにその噂が広がる程の大人物であり、ハレンチな不祥事があったりすると真っ先に疑惑の目を向けられてしまう優れ者なのだ。まあNHKなんかに入ったのが何かの間違いなのだが、この葛西のぶっ飛んた感覚を活かしきれないNHKもNHKである。まあそれがNHKの良心なのだろうけど…。
ある日、東京の放送センターに居る葛西から電話が入った。
「あ、タネちゃん俺こんど料理番組の担当になったんだ」
「え?料理番組って、あんたそんなの出来るの?」
「まあそこら辺は種田センセイのお知恵を拝借しながら…」
こういう奴は頼みごとをする時だけ種田センセイなどと言う。
「知恵を貸さんでもないけど、あんたにもなんかプランがあるんじゃないの?」
「これまでの料理番組と違った奇抜なアイデアが欲しいんだ」
企画の段階で無理に奇抜なアイデアを出すと制作の段階で次第にギャップが生じて遂には《ヤラセ》に発展してしまうのである。私が知っているNHKの関係者にはこの手の奇抜第一主義の人物が実に多い。まあ民放の真似して奇抜な番組になったと確信しているエース級のディレクターもかなり居るようなのでNHKも平和なもんである。
「もっと地に足のついたような番組にしないと奇抜だけではただの馬鹿番組になっちまうぞ」
「例えば何があるかな」
「そうさねぇ…。日本人と民俗食の関係を見つめてみたら?カレーのルーツとかさ…。カレーが日本にどうやって入ってきて、どう流布していったとかさ。カレーって軍隊の料理として広まったんだよな確か…」
「えっ?それって何」
「日本陸軍の演習食だったかな、ともかく軍に正式に採用されてさ、そんで兵役を終えた人達が郷里に帰って《軍隊仕込みのハイカラな食物》ってことで近所の人達に食べさせたのが全国にカレーを広めた理由なんだよ」
「いいねえ、いいねえ、他には?」
「醤油もいいかもね。今の醤油になる前は醤(ひしお)というものがあったり魚醤なんてのもあるしね。日本だって元々は魚醤がポピュラーだったんだ。東北の《しょっつる》がそうだよね。タイのナムプラーとかベトナムのニョクマムとか、そうそうキューバにも醤油があったんだってさ驚いたよ」
「なるほどさすがあタネちゃん!」
「でも日テレの謎学の旅であらかたやっちゃってたよ」
「いいんだいいんだ。出し方をちょっと変えればいいんだもの」
「それと…他にまだどこもやってないと思うのがあってね」
「なになに?」
「コンニャクボンボンってのが昔あったんだって」
「どういうの?」
「第一次大戦の時にヨーロッパで戦場に酒を送る時に酒瓶が振動で割れちゃったんで、その代わりになるものとしてウイスキーボンボンみたいなのが作られたんだな。そのアイデアを日本流にアレンジしたのがコンニャクボンボンで、酒をコンニャクにしみ込ませて戦地に送ったんだってさあ」
「いけるよ!面白いじゃんそれ」
「そうかねえ…」
「軍隊を通してカレーとコンニャクのそれの共通点があるよね。なんとなくいけそうだなあ」
「そうかねえ…」
「俺ちょっとアイデアをまとめてみるから、タネちゃんももう少し突っ込んで考えてみてよ、じゃあね」
と言って電話を切っちまった…。
私は企画コンサルタントという仕事もしているので物を考えるのが有力な収入源なのであるがこの男はいつも私をタダで使おうとするので始末が悪い。もっともそれに乗ってしまう私も私である…。
こんな会話をした数ヵ月後、本当にコンニャクとカレーを融合させた無茶な料理による料理番組が放送されることになってしまった。しかも我流料理名人として私自らが出演して腕前を披露するというオマケ付きでである。
熊本発東京行の朝一番の飛行機の中に私はいる。眠い上に胃はムカムカするし非常に不快である。よせばいいのに前の晩、近くの焼鳥屋で午前3時位まで薩摩の芋焼酎を飲んでいて気がつけば一人で一升瓶を空にしていたからあった。
朝一便ということもあって機内食のサービスがあった。要するに軽い朝食である。しかも本当に軽いのである。A5版位の小さい箱のミニ弁当である。箱の半分位の面積に薄く詰められた炊き込み御飯と鴬豆の煮物が四粒それにオレンジの六分割が一切れといった内容でお世辞にも豪華とは言えない。ほとんど子供向けの量でありママごとの世界である。こんなのを企業戦士という感じの大の大人が揃いも揃って黙々と食っている姿は想像しただけで気色が悪くなる。
風邪で熱があろうと二日酔いで吐いたばかりであろうと何であろうと常に食欲があるのが私の最大の特徴である。こんなオードブルみたいなのを食ってしまうと逆に誘い水になって食欲が増してしまい始末に困るのである。金だったらちゃんと払うからもう少しまともな量の機内食を出して欲しいと思う。
羽田空港に着いた。渋谷のNHK放送センターまでタクシーを使えとのお達しだったので遠慮なく乗る。それにしても東京のタクシーは高い。一昨年前まで東京が仕事場だったので気にせず使っていたタクシーではあるが、九州に居を移してからは九州の相場が身に着いてしまっているのでその価格差に驚いている次第である。この時のタクシー運賃が初乗り六百三十円である。一方熊本は五百十円なのだ。深夜割増しだって東京が三割増しなのに対し熊本は二割増しである。乗れば乗るほど格差は広がる。
結局渋滞もあったので七千円ちょいでNHK放送センターに着いた。もちろん支払いはNHK。財源はみんなの受信料である。
玄関を通って受付のところに進むとそこは一種のゲートのようになっていた。ゲートのところでは警備員が立っていて一人一人通行証の確認をしている。恐らく部外者の無断立入りを防止する目的であろう。
「すいません《男の食彩》に出演する種田と申しますが…」
と受付嬢に申し出ると、
「はい伺っております。いま担当者が参りますのでそちらの方でお待ち下さい」
と言われた。私のような部外者は受付の前にある待合コーナーで迎えの人が来るのを待たなければならないというシステムである。指名したソープ嬢の登場を待っているお客みたいでなんとなくマヌケであった。
意外とすぐに葛西が現われた。ゲートの警備員に通行証を見せながら「出演者です」と言って私を通した。遂に禁断の地に入ったという心境である。
迷路のような廊下を通って収録スタジオに向かう。以前に誰からか聞いた話では、暴動や革命が起きた時など過激派の侵入を防ぐ為にわざと解りにくい迷路になっているとのことである。九州など地方の局ではほとんどこんな作りはないようで、私が週に一度通っているエフエム佐賀なんか入口を通ったらすぐにスタジオである。やっぱり地方は平和なのである。
ゲートから百メートル程歩いてCT110というスタジオに着いた。ちなみにCTというのはカラーテレビの略なのだそうである。一方ラジオスタジオの方はというとCRと表記されているのであった。まさかカーラジオという意味ではないと思うが…。知りたい人はNHKの広報に問い合せて頂きたい。
CT110は狭い廊下を挟んで準備室とスタジオに別れていた。ここは専ら料理番組の収録に使用されているスタジオで、それ用の様々な設備がなされていた。準備室はほとんど学校の家庭科教室といった感じで様々な調理器具、食器、テーブル、冷蔵庫などがずらりと並んでいる。
すでにゲストの作家の岩川隆さんと司会の岡田誠吾アナウンサーそれにプロデューサー等の皆さんがお揃いで缶ビールなどを飲みながら宜しくやっているご様子である。他に調理助手を務めてくれる三人の女子大生がいて中々賑やかであった。
お集まりの皆さんと名刺の交換などしながら軽く挨拶をしていると葛西ディレクターが私に缶ビールを持って来た。こっちはほとんど二日酔い状態で酒なんか見るのもイヤなんだけれど出されれば飲んでしまうのが私の性分である。葛西の話ではNHKでもこの番組だけが出演者をリラックスさせたりする目的で堂々と酒を飲んでも良いのだそうだ。出演者が飲むのはいいんだけれどスタッフまで一緒に飲んでほとんど宴会のノリになってきたのには驚いた。ゲストの岩川さんと岡田アナはすでにビールからワインにチェンジして序々にメーターが上がってきたご様子である。
皆が雑談の花を咲かせている最中、私だけは料理の準備をしなければならなかった。とは言うものの、野菜や魚などの下拵えは調理助手の女の子がやってくれるわけで、こちらは切る大きさとか調味料の分量などを伝えるだけである。それにしてもこの女の子達は実に手際良くテキパキと仕事をこなしていく。非常に感心したものである。
「センセイ。このヒラメはどう切りましょうか?」
いやあセンセイと言われるとは驚いたね…。以前、東京と熊本の専門学校で非常勤講師をやった以来の出来事である。《センセイと呼ばれて喜ぶ馬鹿は無し》なんて言葉をよく口にする私としては相当くすぐったい呼ばれ方であった。関係無いけど時代劇でヤクザの用心棒の浪人は何故「センセイ」と呼ばれるのだろうか。理由を知っている人はぜひ教えて欲しいと思う。
粗方仕込みや盛り付ける器選びが終わった頃にお昼となった。昼食はにぎり寿司であった。東京に出て来ていた小原良も見学に駆け付けてくれたのでついでに寿司を食ってもらう。小原良は大分県出身の女優志願の娘である。福岡で私がディレクターを担当していた番組の元パーソナリティで、我々の心配と反対を押し切って単身東京へと出ていった中々根性の座ったおネエちゃんである。福岡で最後に会ったのがまだ半月前位だからあまり新鮮な驚きは無かったが取りあえず元気そうなので安心する。
寿司を食い終わっていよいよ作業開始である。テレビ番組の面倒臭いところは、多くの場合幾つかのプロセスを経てからでないと本番にならないところにある。要するにリハーサルという奴が面倒臭いのである。「パパッと料理を作るから適当に撮ってくんねぇ!」というわけにはいかないのだ。
今回はまずスタジオで実際に料理を作る作業である。これは私の調理手順をカメラマンをはじめとする技術系スタッフに見てもらう為にやるわけだ。このときカメラの切替えとか入替えの流れを作っていくのである。
次はリハーサルである。実際にオープニングからエンディングまで通して本番と同様に進められるものである。ここで全体の流れとか収録時間とかが把握され「本番ではここら辺を短く」とか「こんなコメントが欲しい」とかいう注文がつくのである。私も放送業界での職歴は伊達に長くないので注文の中身はすぐに分かる。そんなわけで見事に注文に答えてしまったりするのである。その辺の動きは我ながら流石である。
まあリハーサルなんていうのは気楽なもので、それが放送されるなんてことは滅多にないから好きなことを言ったりするのである。料理を作りながら軽いギャグを飛ばしたりしてスタッフの爆笑を誘って場の雰囲気を和らげるなど中々余裕じゃんって感じであった。 十五分程の休憩を挟んでいよいよ本番である。何が凄いってゲストの岩川さんがすっかりワインで出来上がっちゃって呂律が回ってなかったり、テフロン加工のこびり付かないはずのフライパンがバッチリくっ付いて具が離れなかったりで、NG大賞にでも登場しかねない本番となってしまった。まあそれだけにいろんな意味で面白い番組となったようではあるが…。
ところで作った料理はコンニャクカレー丼と異種同業丼それに限界丼のドンブリ三種である。コンニャクカレーとは即ち葛西と私の合作による新メニューで、コンニャクステーキをスライスしたものをメインの具とするカレーの事で、そのカレー自体も小麦粉とカレー粉を炒った典型的ジャパニーズスタイルのカレーである。そこら辺が軍隊式カレーとコンニャクボンボンとの融合ということになっているがあくまで葛西のごり押しによって出来上がったヤラセメニューであることを付け加えておかなければなるまい。ところがである、実際まともに作ってみたら結構これがイケるのである。今までにない食感と言えば良いだろうか、ともかく一度試してみる価値はあると思う。
異種同業丼というのは卵丼に博多名物の辛子明太子をミディアムレアの状態で加えて最後に博多万能ネギのみじん切りを乗せたものである。これは正真正銘味の保証付きの種田守倖オリジナルメニューである。
最後の限界丼というのは私が長崎県の壱岐に行ったときに偶然の産物として考案した海産物のドンブリである。番組のAD連中と壱岐旅行をした際に泊まった旅館で地牡蛎やヒラメ、イカなどの超新鮮な刺身がドーンと出たのである。これらを炊きたての飯に乗せて食したところ、当たり前の話だが非常に旨かったのである。そこで牡蛎、ヒラメ、イカの刺身に限定してこれらを酢醤油で混ぜ、飯に乗せ、薬味として生姜や茗荷をのせたものを限界丼と呼ぶことにした。ちなみに玄界灘とこれ以上別な魚が加わると味が分からなくなるというリミットの意味も込められているのである。これは本当に旨い贅沢なドンブリである。あえて酢飯にしていないところがミソなのだがそれだけに良い米と良い炊き方が必要となってくるという非常にデリケートなドンブリでもあるのだ…。
これらのドンブリを素人にしては中々鮮やかな手つきで次々に製作した。おかしなもんで作った方は逆に食欲が湧かず司会者とゲストが食べているのを傍観している風になってしまった。幸い岩川隆さんもお世辞だろうけど旨いと言ってくれたので何とか面子はつぶれずに済んだようである。
何だかんだ言ってヤラセと偶然の産物という珍料理が出来上がった。これも今までにない奇抜なメニューで番組を作りたいという葛西の無理な競争心から生じたものである。しかし結果的に奇抜かどうかは別にして新しい味の発見にはつながったことは間違いない事実である。ひょうたんから駒ということだろうが、やってみるもんではあるな…。
「男の食彩・コンニャクカレーでヘルシー気分」5月29日(コンニャクの日)の初オンエア以来、結局この番組は「特選・男の食彩」などの再放送も含めてなんと五回も全国放送されたようである。ちなみにこの頃私は唐沢竿(からさわ・かん)というペンネームで仕事をしていたのでこの名前で出演している。
番組を計る一つの目安に視聴率というものがあるが、視聴率1%というと全国規模で約50万から70万人の人が見た計算になるそうである。仮に私が出演した番組が平均1%だったとして5回放送だから合計5%である。単純計算で2百50万から3百50万人が見ていることになる。仮にその1%の人が番組を見て私の顔を覚えてしまったとして約2万から3万の人がいるわけである。なんか恐ろしい気がしてしまう。現に街を歩いていて知らないおばさんから「あコンニャクカレーの人だ」とか「テレビの人よ」とよく囁きかけられるし、別な仕事で出掛けた先でも「テレビ見ましたよ」と言われることがよくある。いよいよ街で悪いことが出来なくなってきた。
先日も博多駅のみどりの窓口の電話予約専用窓口で並んでいると、私の前のアパレル関係風の若い男が予約もしていない上に余りに要領を得ずもたもたしていた。しかも周りに迷惑をかけているのに平然とした顔でカウンターに頬杖なんかついている。ちゃんと予約を取っている私としては段々腹が立ってきたので私の表情は次第に《怒》のパターンにメタモルフォーゼしていくのであった。
驚くべきことにこいつは10分近くもたもたしている。辛抱強く並んでいる我々のイライラも極致である。ふと振り返ると私以降の一列は不愉快千万といった感じのオーラを全身から放っているという《怒の一列》となっていったのである。
さすがに駅員もたまりかねて「ここは予約された方専用なんで他に移って下さい。後の方が迷惑されてますから」と言うと「あっそ…」ってな感じで無表情にどいて行った。
いざ私の番になっても結局怒りが納まらず、ムッとした表情で「予約番号Mの146」とつっけんどんに言った。すると窓口の駅員が私の顔をニコニコして見つめている。
「こないだテレビに出られてた方ですよね。拝見しました。面白かったですよ」
「…はあ…」
「熊本までですねぇ。再放送も見ましたよ。今度私も作ってみようと思っとります」
「…はあ…」
こんなときそれまでの最大級のムッとした表情をどう和らげて良いものか非常に困るのである。私はターミネーターT1000でも大魔神でもないので急にそういう事を言われてもスムーズに表情が変わらないのである。仕方なくヘヘッと作り笑顔で立ち去るという実に情けない場面であった。
まあ何にせよ料理番組という奴を内側から見ることが出来たのは収穫であった。和風のセットの裏側は洋風セットになっていて、ひっくり返すだけでイメージが変わるようになっていたり、コンロなどがある調理台の影に調理助手の女の子が中腰になって隠れていて材料や器具をタイミング良く受け渡してくれるといった舞台裏が非常に面白かった。