サブカルチャー後進県KUMAMOTOに思う

「サブの話」

1996年1月頃執筆

 サブと言ってもアドンやサムソンの友達の事ではない。ずばり「サブカルチャー」の事である。でもこの言葉、何となく陳腐な響きがするな…。

 ところで突然だが、漫画家の小林よしのりが昨秋のSAPIOのゴー宣で「電車の中でマンガを読む奴はバカだ」と言い切っておったが、正に我が意を得たりであった。
 もう2年以上前だった思う。エフエム佐賀に向かうために毎週乗っていた特急有明の車内で読んだSPAのゴー宣である。朝ナマでお馴染みの西部邁が「マンガなんか読んだら家系の恥ですよ」と発言した事に対して、小林はケチョンケチョン且つボロクソ及びクソミソに反論していたのだが、このとき私は「ふ~ん、そうかなあ…」と若干冷ややかに斜め37度の視線を送りながら、迫り来る鳥栖駅中央軒の立ち喰いソバ(ここの社長はいい人です)に思いを巡らしていたのであった。
 別に西部邁のファンじゃないよ。特にこの頃の西部は似合いもしないレザージャケットに無精ヒゲという猿の惑星に出てくるザイアス博士みたいで全く好感が持てんかったし…。
 とは言え、マンガなんてのはトンカツ定食の付属品のキャベツみたいなもんで、あくまでメインカルチャーの脇に居てこそその実力を発揮出来るものだと考えていたから西部の発言には少しだけ共感するものがあった。
 わかる?だってそうでしょ。キャベツはメインのトンカツの脇に居るからこそ舌休めとして或いは脂肪燃焼時のビタミン補給源としてそのパーソナリティを発揮出来るのであって、キャベツだけをかじっていたらただの貧乏な人か主張ある気違い行為(俺はオタクという呼称が大嫌いなのであえて差別用語を使用している…)そのものなのである。かと言って、この主張ある気違い行為は、本来は堂々と世間様の前でやってはならんものなのだ。なぜか?それは部屋にこもってこっそりやるからこそ堂々と胸を張って主張ある気違いと呼べるのであり、公衆の面前で不特定多数が大っぴらに行えばだだの普通のくだらないものになってしまうからである。
「いいじゃないの。常識なんて時代と共に変わるんだから」必ずそう反論してくる低能野郎が居る。しかし答えは簡単「いかん!!」のである。お日様が西から昇ろうが、柳の上に猫が居ようが「いかん!!」のである。黄色でスタート赤でダッシュだから事故なのだである。(某アニメ主題歌より引用)
 あくまでサブカルチャーはサブカルチャー。そのままでは絶対にメインにはなれないのである。強引なメタファーだが、加賀百万石の前田家が徳川御三家に次ぐ格式であるのに絶対に将軍になれないのと同じだ。それより格下の御三卿嫡子(一橋・田安・清水のことね)が有資格者なのにである。だから徳川家がメインカルチャーなら前田家はサブカルチャーだと言っても良い(ホントかよ?)

 以前うちに成田という酒癖の悪いのが居た。相当なマンガ気違いで、読んでないものはないと言えるほど読んでいた。ただこいつが偉いのは活字の世界(ひょっとしたらメインカルチャーと呼べるかもしれん)もきちんとフォローしていて、それなりの価値観と判断力を持っていた事だった。
 私もマンガは読む。と言っても基本的に「こち亀」と「美味しんぼ」くらいしか読まないが、成田が居た頃はこいつがソムリエ役で「これは参考になりますよ」とか言っていろいろ御丁寧に解説してくれた。そのうち幾つかを買って読んだが、それらは的確に面白かった。
 何が言いたいかというと、こういうソムリエ的な奴(言い変えればプロフェッショナルな風格てな感じ)は別として「いい大人が電車の中とか会社で堂々とマンガなんぞ読むな!!」っちゅうことである。ホントはもっと的確な主張があるのだが例のゴー宣と全く同主張になってしまうのであえて割愛する。
 ともかく、いい大人がバカ面下げて会社のデスクでマンガなんか読むんじゃねえ!!そんな時間があったら日刊工業新聞でも読め!!バカ!!

 あ、そうそうサブカルチャーの話でしたね。私が昨年定住を明確に宣言した熊本ってとこは老人文化県ですけん仕方ないのかもしれんけど何かにつけて腰が重てえ重てえ。で、ローカルニュースなんか観察してると気付くんだが、文化関係の会議とか行事とか、或いは行政の意見交換会とかの話題で画面に映ってる面々が皆いつも同じ面々なんだわな。こいつらいつ仕事してんだろ…と心配してしまうくらいいろんな所に出て来やがる。もとい、お出でになっていらっしゃいます。人材不足なのかそれとも手腕が秀逸なため他に頼む気がしないのか…。私は前者をとりますがね、正直ですから。
 こういうところの委員とかでいらっしゃるお年寄り連中の頭の中は、芸能と言えばクラッシックや能狂言。芸術と言えばともかく画壇や純文学という「なんやなんやめちゃめちゃベタなメインカルチャーやないけ~」とミキサー白憲が前歯を光らせながら叫びそうなスタイル。まあ一言で言って権威に弱いっちゅう事でしょうな。
 いいかい爺さんよくお聞き。老いては子に従えって言うでしょ。この手のメインカルチャーってのはねえ、概して金がかかるんだよ。定式(じょうしきと読む)に沿った舞台作り、人材育成にだってべらぼうな時間と金が必要だ。しかもねぇ、メインカルチャーってのは一歩間違うと全世界を相手にすることになるんだよ。あ、いやいや勘違いしないでね。俺はメインカルチャーは大好きだかんね。県民の文化レベルのアベレージがこれほど低い熊本でクラッシックのコンサートをやり続けるオフィスムジカなんか立派だと思うもの。でもやる以上はそれなりの覚悟が必要だって言いたい。どこだったかドン百姓村に立派なコンサートホールを作ったけれど結局村民のカラオケにしかつかってないっちゅう話があったが、そんなふうになっちゃつまらんでしょうが。

 で、そんな事は若くて頭の柔らかい奴は皆、肌で分かってるんだなこれが。だから東京や福岡に興味をそそられてしまう。以前は東京至上主義だったけれど、福岡がやたらとサブカルチャー偏重デコンストラクションをやってるからそりゃあ目立つわね。それに近いもんねぇ、行っちゃおうって気になるよねぇ。
 丁度2年前、福岡のテレビ西日本でやった「AtoZ'on」ってのは「ドォーモ」の裏番組だったんだけど、それまでその枠は局制作で、しかもドォーモの何倍もの制作費をつぎ込んでたんだそうだけれど視聴率では全然足元にも及ばなかったんだって。そんで頭にきた広告代理店が俺にプロデュースを依頼してきた。俺はそれまでの数分の1くらいの制作費で作ったんだけど視聴率はなんとドォーモに肉薄しちゃったもんだから局側パニックね。「お前らあれだけ金使って何やってたんだ」ってわけですな。
 で、この「AtoZ'on」出演者は私を含めて全員熊本出身もしくは関係者。ディレクターも熊本出身者。おまけにオープニングの画はオール熊本ロケで、およそ殆どが熊本の頭脳で作られた番組だったわけ。でもホントつまんない番組でしたよ。人間関係ボロボロ、私やる気全然なし…そんなんでよくあれだけの数字とったもんだと感心したりする。まあいいか。

 ともかく何かをやらかそうとする優れた人材はお隣に流出するばかり。これじゃいかんよ絶対に。
 いいかい婆さんよくお聞き。メインは無理でもサブカルチャーなら東京だろうが福岡だろうがドミニカ共和国だろうが同じ土俵に上がれるんだよ。何故なら、全てではないが基本的に金が大して要らん。そこら辺に落ちている不燃物ゴミだって立派な素材になっちまう世界だ。しかも教育なんてのもそれほど重要でない。やった者勝ち!早い者勝ち!なのである。現に俺が10年来撮り続けている石コロ写真は確固たる芸術写真として完全に世界規模で認められちょるのだぞ。(はったりかましてホントになった一例です)

 サブカルチャーなんていう陳腐な言葉で書きなぐったので一昔前の「パルコ亡国論」みたいでイヤなんだけど、しかし重要なファクターであることは間違いない。
 新幹線が熊本に来る頃には「kumamotoって結構ファンキーでしょ」なんて女子高生がヘソになんちゃってピアスをしながら(多分その頃には3度目位のリバイバルブームとなっていよう)腕時計型携帯テレビ電話で話していたらいいね…ということでわたくしの新年の御挨拶に代えさせて頂きます。

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