熊日グリーンページにおける自己完結型エッセイ

「ボランティア観」

1997年7月下旬執筆

新聞(それに限らず殆どのメディアで)に出てくる「ボランティア」は何故に「福祉ボランティア」ばかりなのだろうか。

ボランティアという言葉が元々「志願兵」という意味を持つなんていう硬い話はさておき、どんなジャンルであっても「社会に貢献するため」「自分を磨くため」に無料奉仕するのがボランティアなのでありまして、それこそ、私のところ(fm-monday club)だって胸を張ってボランティアだと言えるのであります。

ところが、福祉系の方はそれなりに燃えて参加される方が多いご様子ですが、それ以外のものとなると余り強い責任感とかはお持ちでないようです。

以前、神奈川の某コミュニティFMのスタッフと飲んだ際「うちには1000人ほどボランティアが在籍しているが、使えないことこの上なし。全く責任感が無い」とぼやいていたことがあります。

指導の仕方に問題が無いとは言えませんが、それよりも前に、ボランティアとして参加される方々の意識自体に大きな間違いがあると思われます。

通常、欧米などでは、それこそボランティアと一般社員は同列に扱われ、ノルマだってあったりしますからねぇ。無責任じゃやっとられんのですよ。
だからこそ「社会に貢献」「自分を磨く」ことが本当の意味で可能になるのではないでしょうか。ところが、日本のそれは、単なる慈善行為、へたをすすると中途半端な自慰行為みたいな迷惑人間が実に多い。

最初に話は戻りますが、メディアがきちんとした形でボランティアというものをとらまえて報道してくれれば、現代日本のボランティアに対する誤った認識も是正されるでしょうし、福祉ばかりがボランティアのステージではないということも理解されるでしょう。

熊日さんが、ボランティアに対する正しい認識をお持ちになり、うちみたいなサブカル団体が単なる「お遊びグループ」なんかではない、という視点で今後記事を展開されることを希望します。そうすれば、熊本の若い連中の文化意識も多少動き出すような気がします。

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