1997年8月中旬執筆('97年10月号掲載) 読者の中には当然この手の御専門の錚々(そうそう)たる面々が揃ってらいっしゃるので「何を今さら若僧が」とおっしゃるかも知れませんが、このページは超ビギナー向けのページと位置付けておりますので、あえてこのテーマを取り上げることにしました。
まぁ、インターネットでコストダウンと言っても、なぁに難しいことではありません。要は「電子メール」の賢い使い方のヒント…という至極単純なお話です。
ところで…こんなエピソードがあります。
(まんが日本昔ばなし風に、俳優の常田富士夫になったつもりで「情感豊か」にお読み下さいませ…)
とある会社にそれはそれは新し物好きの社長さんがおったそうな。ある日、この社長さんが散髪屋で「イントラネットで売り上げ倍増」という記事が書かれた雑誌を読んだんじゃが、それはもうえらく感心なさって、早速会社中にLANのケーブルを張り巡らせたんじゃと…。その上なんとまあ、社員の1人1人にそれぞれ1台づつノートパソコンを買ってあげてのぅ、意気揚々と「今日から我が社は情報化時代の波に乗ったぞぅ!!」と宣言したんじゃそうな…。
ところがじゃ・・。
いざ、社員が企画書だとかの文書を上司にメールで送っても一向に返事が来ん。そのうち「君はいつになったら例の企画書提出するんだ?」と聞かれたそうじゃ。社員は「とっくにメールで送ってありますよ」と答えたんじゃが・・「送ったなら送ったでちゃんと連絡せんか!! 」と怒鳴られる始末。
気がついた時には、LANは、若手社員の合コンや社内恋愛の連絡に使う魅力的なツールとして活用されるようになっていたそうじゃ。めでたしめでたし。
ちょいとおふざけが過ぎましたか?…でも、これって実際には珍しい話ではないようですよ。以前私達が調査したところ、中間管理職層のサイバー許容度(パソコンやインターネット等のハイテク機器を受容する能力値)の圧倒的な低さが見事に露呈してメールが何たるかすら知らないご様子…。お陰で折角の情報機能が無駄になっているところが幾つかありました。
パソコンアレルギーが殆ど現われない新人類層に高い偏差値が出るのは当り前ですが、意外(失礼)にも昭和ヒト桁の重役さんにハイテクOKが少なからず居たというのも実に興味的なデータでありました。これはどういうことかと言うと、経営陣と若手社員は電子メールだとかをバリバリ使いこなしているのに、現場の管理職の皆さんは自主的に蚊帳の外…という「社内ナカ抜け現象」いやはや悲しいお話なのであります。
で、彼等、アコースティク管理職軍団の皆さんは何で逆襲するかと言うと、それは「会議」…。会議という名を借りた前時代的寄り合い型の拷問です。
会議を懐疑的(ちょっとした駄洒落)に思う人はこう評します。
「延々と続く無限地獄…」
組織の体質にもよりますが、1時間はおろか2時間3時間へたをすると5時間なんていうマラソン会議を日常的に行っているところもあるそうです。実際、私の家の近くの建設会社では、連日夜中の1時近くまで、何やら会議を行っているご様子…。24時間営業の弁当屋に夜食を買いに行く度に、その疲れ切った姿をガラス越しに見かけるのですが、翌朝は大丈夫なのでしょうか。過労死の問題がクローズアップされるのもよく分かります。
この会議というやつが組織の体力や先見性を疎外してはいませんか?皆様の組織でも再確認する必要があるかもしれませんよ…と一応申し上げておきます。合掌…。
さて一方、先進的な組織では、会議は平均1時間未満のご様子…。しかも、中には「立ったまま」というスタイルもあるようです。立ったままだと「早く終わらせたい」という心理が働いて、ダラダラ会議は無くなる…という人間工学的(悪口を言えば非人間的)なデータに基づいているそうです。ちなみに、ここでは45分と時間制限が決められており、その間に徹底的に討議を重ね、なんと時間内に一定の結論を出さねばならないとのこと。「ではこの続きは各人持ち帰って、また次回に続くということで…」などという時間の無駄遣いは全く無いのであります。まぁ、そういう意味では会議を良質なものにしている好例と言えるでしょう…。
さてさてお立会!これが今回の本論「コストダウン」という奴です。商品の製造原価を抑えるばかりがコストダウンじゃありません。会議でボサぁっとしていてもその人物には「給与」というすんばらしいコストが掛かっています。なんと無駄なことでしょうか。数時間、お茶を飲んでじっとしているだけという人物にですよ。
単純に考えますと、こういう人物にボサぁっとさせいてるよりは、まだ掃除でもさせていた方が余程コストパフォーマンスは高いわけです。で、それを突き詰めて行きますと、会議の時間を無くすことはひょっとして究極のコストダウンにならないか…という暴論が出て来るわけです。暴論は時としてすんばらしい利益をもたらすことがあります。
「暴論のやり方・その一例…」
議題を各人にメールで通知する。受け取った側は、予め設定された締め切りまでに議題に対する意見・提案・問題点を列記して返信する。管理側はその文書を熟読し、不明な点やさらに突き詰めたい点を個人的に質問し返答を求める。それらのプロセスを繰り返して最終案をまとめ通知する。
以上のようなプロセスを効率的に行えば、とりあえず会議なんて言うものは要らなくなるわけです。
が、こういうプロセスを提唱する時に必ず出現するのが「人間味が無い近未来SF小説のようだねぇ」と反対するアコースティク勢力です。しかし答えは簡単、緊急かつ重要な案件が出たときの対応スピードの早さで既に勝負がついています。社外に散らばった人物に非常呼集をかけて集めている間に、メール軍団は既に結論を出していることでしょう。
「とりあえず結論…」
メールが会議を減らし、結果的にコストダウンをもたらす可能性があります。とは言え、それをきちんと管理できる人物が居ないと《若手社員の合コンや社内恋愛の連絡に使う魅力的なツールとして活用されるようになっていたそうじゃ。めでたしめでたし》ということになります。お気をつけ下さい。
サイバー事件簿
プライバシーの無い世界を覗いてしまった
インターネットみたいな覆面性のあるメディアが普及しますと、いろんな弊害も出てくるものです…。例えば、神戸の中学生による連続通り魔事件です。
未成年の人権問題もはらんで、大きな社会問題となっていますが、実は、私はこの未成年の被疑者の「実名」を知っています。もっとはっきり言いましょうか…。実名はおろか家族構成、系譜、住所、電話番号、生年月日、学校の担任や校長の氏名、その電話番号・・ほとんど全てを知っています。勿論、某写真誌に掲載された被疑者の顔写真もインターネット上で簡単に見ることが出来ました。
では何故知り得たかと言うと、それはインターネットに公然と流れた「心無い者」の落書きを見てしまったからです。
私は何らかの事件が発生したときに、インターネットは諸刃の剣となることを予め予測していました。そこへ来てこのセンセーショナルな事件です。決して「待ってました!」というわけではないのですが、早速インターネットの探索に乗り出したところ、まぁ出るは出るは!…ある事ない事、山のように落書き中傷の類が見つかります。中にはそういう落書きを消す側に立つ正義派ネットサーファーもいて、彼等は発見するや否やそのページが置かれているプロバイダーに警告を発します。すると、プロバイダーも直ちに削除…という滑稽なイタチごっこの火蓋が切って落とされていました。
この段階で、既に被疑者の実名に関心が集まっていました。5つほどそれらしき名前が挙げられていましたが、どれも確証のないものばかり。
ところが、翌日その5つの名前のうち1つが実名であることが判明してしまいました。裏を取って来てくれたのは、なんと◯◯新聞の朝刊の「インターネットに少年の実名掲載」というスクープ記事です。「少年の実名を名乗った者が《酒鬼薔薇の脅迫文》の全文を書き込んでいる…」という記事でした。いやぁ目を疑いましたね。あのホームページを見た人に「あの書き込みの名前が実名なんだ」とバレてしまうことをこの記事の担当者は想像出来なかったのでしょうか。恐らくこの後、怪文書ならぬ怪メールが全国はおろか世界中を飛び交ったことでしょう。(実際私も受取りました)
その後、このホームページには「◯◯新聞よくやった!」「さすが◯◯新聞!」というからかいの書き込みが相次ぎ、思わず苦笑した次第…。
いずれにせよ、インターネットのモラルや道徳は、その人物の人間性に委ねられています。法で規制しても所詮彼等にとっては穴だらけのザルでしかありません。文化や風土を映す鏡なのかもしれません。…そして今回の件では、そんな悪しき土壌を愚かにも耕してしまった「メディアの自戒」も求められていると私は思います。