テレコム九州における自己完結型エッセイ/ParaTのいけてるマルチメディア
テレコム九州は「社団法人九州テレコム振興センター」が発行する小冊子(季刊)です。

Vol.6「ウルトラマンと米国製ゴジラに見るマルチメディア哲学の温度差」

1998年8月中旬執筆('98年10月号掲載)

「ウルトラマン世代」という言葉があります。ま、言ってみればマルチメディアビジネスにおける[中堅幹部]と言った世代が丁度この世代に当てはまるのではないでしょうか?
 もちろん「ワシが子供の頃、ウルトラマンはおろかテレビジョンだってまだやってなかったゾ!」という迫力のある世代の方も大勢いらっしゃるとは思いますが、そういうお方もここは一つ、なんとなく特撮映画の世界のイメージを膨らませてお読み頂ければ幸いです…。

 さてさてインターネットしかり、映像ビジネスしかり…凡そマルチメディアのいろいろ。これらの殆どはアメリカから流れ着いたモノと言って過言ではないでしょう。日本から生まれたもの…うーん、日蘭合作による「CD」というメディアぐらいしか思い付きません。(他にもあるにはあるのですが、あんまりメジャーなものは、うーむ…)

[要するに日本はマルチメディア輸入大国なのです]

…何故でしょうか?
 あくまで私見ですけど、一言で言えば「真面目過ぎる」のではないでしょうか。
緻密過ぎて余計なことまで考えたり、根回しを重視するから大胆な発想が生まれない…ともかくそんな風に感じるのです。もちろん長所という逆の捉え方も出来ますが、いわゆる職人気質のネガティブな部分としてよく登場する《精神論》が日本発のマルチメディア先端文化・先端技術の発展をひょっとしたら邪魔しているのかも知れない…なーんて考えてしまうのは、考え過ぎなんでしょうかねぇ。

…というわけで今回は、なんと!日本が生んだ特撮ヒーローの巨人「ウルトラマン」と、アメリカに輸出され現地で製造された「米国版ゴジラ」を肴にしながら、両国のマルチメディアに対する温度差を考えてみようと思います。

天才・円谷英二が生んだ「操演」の裏技。
 ウルトラマン…まだやってます!(TBS系で放映中)
 ウルトラ兄弟が一体何人いるのか?実は私もよく知りません。とは言え30年以上も愛される超ロングラン作品でありますから、そのパワーたるや大変なものであります。
 ですから「ウルトラマン世代」と呼ばれる方にもいろいろあるでしょう…。ある方は初代ウルトラマン黒部進に思いを馳せ「今は水戸黄門の悪役専門だよなー」と感慨にふけり、またある方はウルトラマンタロウZAT隊の隊長がなぜ名古屋章で、副隊長がどうして東野英心だったのかきっと悩まれることでしょう…笑。
 ま、思い出話は置いといて、全てのウルトラマンに共通する特撮テクニック…いろいろありますが、その代表的なもの。それはズバリ「操演」というものであります。他にもいろいろあるけれど絶対「操演」なのであります!

「操演」とは《ミニチュアの飛行機や怪獣などが、あたかも空を飛んでいるかのように見せるため、極細の釣り糸などで吊って動かすテクニック》のことを言います。

 操演を誰が最初に始めたかは知りませんが、少なくとも我が国の映画界においての先駆者はウルトラマンの生みの親「円谷英二」であることはまず間違いないでしょう。
 戦前から映画の特殊撮影分野で天才的な才能を発揮していた彼は、まさに万華鏡のように様々なテクニックを開発していきました。日本初の俯瞰(ふかん)撮影を彼がハシゴを使ってやったことも有名ですね…。私が好きな往年の東宝戦争映画の一つ「太平洋奇跡の作戦キスカ」等の特撮も円谷の手によるもの。当時としてはまさに秀逸と呼べる技…。彼を《日本特撮の父》と呼んでも過言ではありますまい。

 さて操演です。皆さんも一度や二度は経験があると思いますが、そういう操演シーンで《吊っている糸》を発見したことってありませんか?興醒めなんですよね。最初からミニチュアだと分かってはいるけれど、糸がチラリと見えた瞬間に「あーあ…」って気持ちになるものです。
 円谷英二も1人の特撮エンジニアとして恐らくこの弱点に悩んだことでしょう。ですが彼は並のアーティストではありませんでした。まさに逆転の発想!彼はその解決法を遂に発見してしまうのです。一体どうやったと思います?
答えは簡単なんです…。お教え致しましょうか、エヘン!

《ミニチュアを天地逆さまにして糸で吊ったんです》

…ついでに言うと、背景もカメラも全部天地逆さまです。
 これで撮影して出来上がったフィルムを見ると、空を飛ぶミニチュアの腹の方から下に向かって糸が伸びている格好になります。これまで通り、吊り糸はなんとなくチラチラ見えてはいます。ところが人間の心理というのは実に不器用に出来ていまして、誰もがミニチュアの背中から上に向かって糸が伸びていると思い込んでるんですね。画面の上半分に注意が行き過ぎて下に伸びる糸には気付かない…。
 円谷英二が考えたこの技法は今でもよく使われるやり方なのですが、彼がいかに人間の心理を研究していたかがよく分かる興味深いエピソードです。
 しかし、この大発見が日本のマルチメディア、とりわけ特殊撮影分野における進歩を遅らせてしまうことになるのです。皮肉と言えば皮肉な出来事と申せましょう。
 実はこの操演…一つ大きな問題があるんです。操作がとても「難しい」のです。ミニチュアを極細の糸数本で吊って、それを人間がマリオネットよろしく操作するわけですが、これがまさに熟練の技というか、おいそれと誰にでも出来るテクニックではないのです。
「難しい」というのは何のジャンルにおいても発展性を疎外させる最大の要因となります。デキる人間が限られてしまうからです。

操演からマルチメディアを生んだアメリカ
 先日公開された米国版ゴジラは、その殆どをコンピュータグラフィックス(以下CG)で作られています。
 この分野は今やハリウッドの独壇場ですが、CGと操演というのが実は非常に面白い関係がありまして、ここに現れた単純な温度差がマルチメディアにおける《日本の遅延とアメリカの急進を分ける分岐点》になったような気がするのです。

細く少なく難しく!を目ざした日本
太く多くて簡単に!で割り切ったアメリカ

 まずはCGによる映像制作が発達する前、今から20年ばかり前のアメリカ特撮テクニックをちょいとプレイバックしてみましょう…。
 その頃の特撮現場では、日本と同じような操演やオブジェクトアニメ(人形アニメとも言います)が主流だったわけですが、早くもここに日米の温度差が顕著に現れているのです。
…日本では「細く少なく目立たない…この最低限の条件を職人技でなんとかカバーする」という方法を用いてきました。一方アメリカは全く逆「太いし本数も多いんで目立つけど、動きが細かい方がリアルで良いよね!」という思想で操演を行っておりました。
 物体を2〜4本の糸で吊るすのと、10〜20本の丈夫なワイヤやピアノ線で吊るすのとではコントロールに大きな違いが出てきます。1人で操作するギニョール人形よりも2人で操作する文楽人形の方が所作が細かいのと同じです。
例えば、ちょっとした仰角を付けるにしても日本式操演は力の入れ具合によってぎこちない動きになってしまいがちですが、アメリカ式ならかなり滑らかな動きが「容易」に可能となります。微妙ですが立派な温度差を感じます…。

《自らを由とする発想》の重要性
 さて、そろそろ今回のメインテーマに参りましょうか…。
 繰り返しになりますけど、日本は「職人技と心理学で吊り糸を目立たなく」させようとしました。一方のアメリカは「吊り糸が目立つことは覚悟の上で動きを滑らか」にしようとしました。
 分かります?…アメリカの特撮に於いて、コンピュータ技術はこの時点で必然的に求められていたわけですよ。そうです、まずは《目立つ吊り糸を消す》ためにです。
「なーんだ、その程度のことなの?」そう思う方もいらっしゃるでしょうが、そう思ってしまうのが《典型的な日本人の発想》というやつなんですね。
  当時、軍事技術や科学にのみ使用されていた「電子計算機」という機械を、たかだか吊り糸を消しに使用してしまおうとするこの大胆さ…。これって、日本人が最も不得意とする「自らを由とする発想」の典型ではないでしょうか?

・操演を高度な職人芸に位置付けてしまった日本。
・ともかく動きを滑らかにすることを目的としたアメリカ。

…前者はそれこそ手先の感覚を体で覚えるのみ、つまり手動です。後者はそのコントロールの多様性からモータードライブの可能性も見い出し、細かい動きを何度でも再現できる《モーションコントロール》という技法さえ生み出してしまいました。どちらが発展性を持っていたか、言わずもがなですね。

ここで重みのある自慢話を一つ
 映画「スターウォーズ」で多用されたのが前述のモーションコントロールですが、これを見て衝撃を受けたParaT君(当時中学2年)は、鉄道模型のNゲージレールとマブチモーターを使って、間違いなく西日本初!の擬似モーションコントロール装置を自作。それを使った多重露光による特撮を愛機「フジカシングル8/Z-800」で行い、見事成功しちゃったのであります。
(ホントは日本初と言いたいところなんですが、ひっょとしたら誰かやってるかもしれないのでとりあえず西日本初と申しておきましょう。当時、京都の撮影所では研究対象にもなっていなかったそうですから西日本初と言うのはまず間違いないレコードのようです…エヘン!)
 後年、N撮影所のベテランエンジニア氏にその映像を見せた際、目が飛び出しそうになるくらい驚いておられました。「ねぇキミ、うちに就職しないか?」と誘われましたが、もし入っていたら今頃は平成版「ガッパ」なんぞを監督してたかもしれませんね…笑。
 とどのつまり技術論だの設計理論だの精度だの面倒なことに頭を使っている暇があったら、ともかく実験してみるべし!…これは私の人生哲学にもなっております。失敗したら「あらら、またやっちゃったーアハハ」と笑っておけば良いのです。面の皮は厚い方が良いのです。
 年配の方が理屈っぽいのは地球の定理ですから、慎んで享受致しますが、若い奴で理屈っぽいのが増えている今日この頃…こんなんでは日本は必ず滅びます。少しは私を見習いなさい…わっはっは。(自慢話おわり)

ゴジラを忘れてました
 操演からスタートした話だけでもこれだけマインドの差を感じるわけですが…おっといけない!アメリカ版ゴジラの話題にまだ触れてませんでしたね。
…時は流れてハイテク&マルチメディア全盛の現代です。日本で生まれた「着ぐるみ怪獣」のゴジラが海を渡ってアメリカ本土で製作されるというエポックメイク的な出来事が発生致しました。
 まさに「日本のお家芸」とも言える着ぐるみ怪獣を、果たしてアメリカ映画界がどう料理するのか?映画ファンでなくとも非常に気になるところだったわけですが、蓋を開けてみれば案の定《オールCG!》という彼等の得意なフィールドでのお料理ということになっちゃってたのは皆さんも御存知のことでしょう。
 出来上がった作品は、まぁ評価が分かれるところではありますが、これまでの和製ゴジラとは全く別物の《巨大イグアナ映画》になっていました。
 でも、動きは実にリアルです…。スピルバーグの恐竜映画「ジュラシックパーク」「ロストワールド」でもそうでしたが、生き物の動きを見事なまでに《天才電子計算機》が再現しています。いずれは俳優すら要らなくなるだろうという誇大妄想的な話もまんざら嘘ではなさそうです。例えば「クロウ」という映画。撮影中に主演俳優(ブルースリーの息子)が不慮の事故で亡くなってしまいましたが、未撮影だった彼の出演シーンは全てCGで製作した!という嘘のようなホントの話も現にありますし。

とりあえず結論
 再び米国製ゴジラです…。モンスターの動きは殆どCGで作られています。でもあるんです。えっ何がって?…それはもちろん「操演」ですよ。飛んでるヘリコプターだのいろいろなシーンで使われてます。とてもミニチュアには見えません。でもミニチュアが山ほど使われているんです。しかも動きがリアル!これが彼の国の操演技術なのです。
「ダイハード2」の空港しかり旅客機しかり、「タイタニック」「アポロ13」だってミニチュアだらけ。操演もばっちり使われています。そしてそれをさらにリアルに見せるためにコンピュータが見事に役立っているのです。
 我が国にもハイビジョンという武器がありまして、一時黒沢映画「夢」などでも活用されましたが、スタンダードと呼べるほどの普及は今の映画界では見られません。ひょっとしたら技術先行ニッポンの悪癖がここでも悪さしているのではなかろうか?そんな感すらある今日この頃です。
 割り切って、大胆に、使える道具は何でも使って、ともかく《何を表現したいのか》を徹底的に追求する姿勢…それがアメリカのやり方…。日米それぞれが何を重きに置いたか、ここに大きなベクトルの差異があります。
 マルチメディアを推進するんだったらやっぱりあの国から学ぶべきことは多そうですね。あくまで戦略的な部分での話ですけれど。

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