テレコム九州における自己完結型エッセイ/ParaTのいけてるマルチメディア
テレコム九州は「社団法人九州テレコム振興センター」が発行する小冊子(季刊)です。

Vol.7「新春放談/伏兵の哲学」

1998年11月下旬執筆('99年1月号掲載)

 さて今回は歳の始めにふさわしく、一個のキーワードを御提案致しましょう。それは「伏兵」です。何やら物騒な感じがします?いやいや別に戦争をしようってわけじゃありませんので御安心を…。
 でも今年は1999年、例のノストラダムスの大預言の年でありますな。私はあんな俳句(!)みたいな預言はハナから信じちゃいませんが、ま、あくまで縁起物(?)ということで、私もいろいろと預言をしてみることにしましょう。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということであくまで気楽にお読み頂ければ幸いです。



 インターネットで聴けるラジオfmc…もうすっかりお馴染みですね。リスナーも随分増えてきたようで、いろんな所でそれこそ様々なリアクションに遭遇致します。
「インターネットラジオの中で唯一地上波と互角に喧嘩できる番組」という有り難いお墨付きを専門家諸氏から頂戴するほどでございます。したり顔でほくそ笑むニヒルな私なのでありますな。
 で、fmcをお聴きになったこがある方はお分かりだと思いますが、実は私のトーク番組は過激なブラックユーモアとシニカルな社会批判のエッセンスで凝縮されています。

 この「いけてるマルチメディア」をはじめ、新聞や雑誌で連載している私のコラムなども、fmcでのトーク程ではないにせよ、割と毒舌を平気で吐いております。こういうのを世間では「確信犯」と言うわけですが、その点ではこのご批評はひとまず正解と申せましょう。

 さてさて、こういう他所様がご覧になった主観的なイメージ…。人物だけでなく会社やその他様々な組織に関しても非常に大きな影響力を与えますね。兎角大衆はこういう表面上のイメージに流され易いものですから、それをとやかく言っても始まらないわけですが、これが企業間つまりビジネスライクなものとなると少し事情が違って参ります。
 なぜなら何らかのプロジェクトを推進させる上でその訴求力が求められるストラテジー(戦略)を決定する際に、表面的なイメージのみで取引先や競合他社のポテンシャルを判断し、大損害を出すケースがまま有るからなのです。

 例えば私…。fmcの番組から受け取られる一般的なイメージは「アバンギャルド、社会批判主義者、世代の別なく毒舌を吐きかける過激派、何でもお笑いにもって行く根からのコメディアン、渋い二枚目ボイス(ホントよ!)」まずはこんなものでしょう。あんまり良くはないですね。
 と言うことは下手すると「こんな奴を講師なんかに呼んだ日には、とんでもない慇懃無礼な毒舌講演会となってしまい、収拾がつかなくなるぞい…やーめた!」なんて思われる方、実は一杯いらっしゃいます。(苦笑)
 ところがですね、これが表面上しか理解出来ていない思慮の浅い人の判断なのでありますよ。なぜならfmcでの私はあくまでインターネットラジオというメディアの特性を私なりに分析した上で、1個の毒舌型パーソナリティを演じているに過ぎないのです。(本音と演技のブレンド)
 本来の私は某大学でマスコミ概論の講議を行う知識人であり、知的教養番組の企画を最も得意とする良識派コンセプターであり、実はかなり真面目で腰の低い実に人当たりの良い人物なのであります。
 嘘だと思ったら、講演だとか番組のコメンテーターだとかで呼んでみて下さいな。びっくりするくらい紳士的なトークを真摯にやりますもん。5年前、福岡の某ラジオで10時間に渡ってテレビ番組主題歌特集を生放送したことがありますが、この時私は抜群の知識を活かしてコメンテーターを務めさせて頂きましたが、非常に評判が良かった!ということをこっそりPRさせて頂きます。(笑)

《意外だから伏兵なのです》
 実は企業でもそういう例があるのです。例えば「加ト吉」…冷凍食品でお馴染みですね。
「♪カトキっちゃん、カトキっちゃん…」というCMソングを耳にしたことがある方も大勢おられるでしょう。
 もし読者の皆様がこの加ト吉と何かビジネスチャンスを作ろうとしたら、皆さんは加ト吉の本来のポテンシャルをどこに見い出すでしょうか?
 加ト吉が新社屋を建設した際に、完成するまで地元銀行が知らなかった!という、無借金経営の健全パワーにポテンシャルを感じるかもしれません。
 しかし、実は余り知られてないことですが、加ト吉はマルチメディアとりわけ音楽関連の事業でひょっとしたら覇権を握るかもしれない優れたポテンシャルを見せ始めているのです。
 それは全国のレコードCDショップの地図さえ塗り替えるかもしれないプロジェクトなのです。相当端折って解説すれば、CDというハードを必要とせず、インターネットを通じて音楽ソフト(データ)を販売しようというもので、極めて近い将来の音楽産業のスタイルを提案しているのです。
 どうです?冷凍食品ばかり作っていると思われていた企業が、ひょっとしたらビクターとかコロンビアとかキングとか、そういう音楽産業の牙城を一気に切り崩すかもしれない、そんな恐るべきポテンシャルを埋伏させているのです。
《人は見かけによらない。企業も見かけで判断してはならないのです》
…ということは、何ごともあっさり見たつもり「一を見て十を知ったつもり」ではNGということです。

《既成概念の対極も伏兵だったりします》
 例えば「深夜の番組=若者向け」という概念も、NHK「ラジオ深夜便」によって撃ち砕かれましたが、地方局の若者向け番組に散見される「ファッション情報、グルメ情報、レジャー情報」という既成概念もトドのつまり、視聴者が直接体感したければ少なからずお金を払わなければならないものばかりで、テレビが単なる客引きに成り下がっているだけのこと。ちょっと目先を変えればもっといいコンセプトはいくらでも見つかるのに…と私は思いますが。ま、そのココロは本業でそのうちお見せします。

というわけで大預言
「本職の強みが災いし、恐怖の女子高生が降ってくる…」
 ここへ来て放送メディアの世界でも様々な伏兵が一斉蜂起し始めました!。CSの番組配給会社とかインターネット放送とかいろいろあります。
 とは言え、既存の地上波、衛星波、有線系線系の各放送メディア(行政認可系)の圧倒的なパワーの前にインターネット放送などの新参者(インディーズ系)は現時点ではインフラやコスト等の問題も相まって全く勝負になりません…。
 しかし技術の進歩のスピードは凄いですからねぇ、どう考えてみても大混戦になるのは時間の問題ですよ。
 となると、それまで「本職の強みを存分に発揮してきたメディア企業に対して、食品会社や建設会社、学校や病院、はたまた家庭の主婦や老人や女子高生…要するにコギャル、孫ギャル、コマダムまでもありとあらゆる伏兵がワンサカ戦いを挑んできます。
 もっとも、本人達は戦う意思など毛頭無く、ただ単に自分のパーソナルなコンテンツを好き勝手に発信しているだけですが、テレビもネットも技術的な垣根が全部とっ払われた時、グロスのセットインユース(全ての受信者の総数)の中で、自然な生存競争が始まるのは自明の理です。
 肥大化したメディア企業が、そんな女子高生ゲリラ部隊と熾烈な消耗戦を演じる体力があるか?…私はちょっとだけ疑問です。

「技術的なノウハウが紙切れ同然になっていくであろう」
 アポロ宇宙船が初めて月に着陸してもう30年。あの時使われていたNASAのコンピューターは、現在の家庭用ゲームPCよりも遥かに劣る性能だったそうですが、技術の進歩とはそういうものです。
 旧態依然のエンジニアや演出家は確実に淘汰されていきます。例えば、家庭用デジタル8ミリカメラが物凄い勢いでテレビ番組の制作に取り入れられていますが、この動きに反発するエンジニアや演出家も少なく無いようで「家庭用カメラで撮影」というテロップを入れろ!としつこく言う人がいます。しかし、人気のあるいくつかの番組では、そんなテロップはもう出て来ません。一般人が普通に見ていてカメラの種別が問題にならない程、性能が向上しているからです。
「家庭用=劣悪」という既成概念に縛られた人に新しい発想は生まれません。余程一般素人さんの方が遥かに自由な発想で新しいものを作りはじめています。うかうかしてられませんよホント。



 余談ですが、某県のとあるコミュニティFM局でのエピソードを御紹介しておきましょう。(ちなみに九州ではありません…)
 この局の「技術畑出身自称大ベテランプロデューサー管理職氏」は、仕事熱心なのでしょうか、妙なライバル意識をむき出しにしていらっしゃいます!
 時と場合によりますが、ライバル意識が良い意味で競争原理の軸となることもあります。ところがこのケースはちょっと変でした。
 管理職氏がライバル意識の炎を燃やした相手は先発の県域FM局でした。サービスエリアの差をものともせず、より一層市民に受け入れられる番組編成に尽力した…っていうのなら良かったんですが、事実は小説よりも奇なり!。管理職氏が燃えに燃えているのは「音質」でした。県域FM局より高音質であることに執念を燃やしていて、アナログテープのイコライザーをいじったりして音質の変化に一喜一憂する「オーディオマニアの鬼」と化しちゃったのです。ところが番組の中身というと全く頓着無し。「お話にならない低レベル」(同局パーソナリティ談)で全く改善の姿勢は見られない…つまりレイティングも問題外なのだそうです。レイティングが1%アップすることよりSN比が良くなる方が嬉しんですね。誰もこんな音質競争に期待してないのに…。ハハハ、こんな会社は必ず潰れます。
 エンジニアがマニア化した弊害の顕著な例として、警鐘としておくのはちょっと慌て過ぎでしょうか…。

《結局良いコンテンツを作る伏兵が勝つ》
 というわけで、◯◯テレビの制作費200万円情報番組の裏で、◯◯豆腐店のオヤジが制作費200円で作った「美味しい豆腐の見分け方」というWebコンテンツが人気を集めている。…なんて珍現象が「珍しくも何ともない当たり前の出来事」になる日は確実に近付いています。

恐らくそれがメディアのビッグバンです。
 それは放送メディアだけでなく、ありとあらゆるメディアについて当てはまる一種のセオリーです。
 1999年が、九州のマルチメディアにとって、革新的で刺激的でそれでいてハートフルな「とってもいい年」になるように期待しつつ、さあ新聞のテレビ欄でも漁ってみようかな?なんて考えている今日この頃です。

今年も宜しくお願い致します。

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