テレコム九州における自己完結型エッセイ/ParaTのいけてるマルチメディア
テレコム九州は「社団法人九州テレコム振興センター」が発行する小冊子(季刊)です。

Vol.10「ジェットなストリーム…。乗り遅れたら大変?」
Webラジオ初めて物語。
1999年8月下旬執筆('99年10月号掲載)

「遠い地平線を越えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遥か雲海の上を、音も無く流れ去る気流は…」
という城達也の渋いナレーションで始っていた東京FMの人気番組『ジェットストリーム』…ご記憶の方も多いことでしょう。2代目ナレーターに受け継がれて現在も引き続き放送中であるこの番組のお陰!と言い切るのにはちょっと勇気が要りますが、とにもかくにも《ストリーム》というWeb用語が、一般人の耳にもそれなりに馴染み易くなっている要素の1つとは言えるでしょう。
さて、「流れ」「気流」などという意味を持つ《ストリーム》という言葉…。この言葉がWebの世界でまぁまぁ一般的に使われ始めたのは、ここ2〜3年といったところです。要するに「新語」なんですね…。 出来たばかりの新しい言葉が、気がつけばえらく重要なキーワードになってしまっていた。そんなことは日常茶飯事とさえ言えるWebの世界です。ストリームもその範疇に入る言葉と申せましょう。
最初は小川のサラサラした流れ程度だったものが、もう急流はおろか、それこそジェット気流もびっくりの苛烈なスピードに増速して来たようです。
今回は、小川だと思って《流れ》に乗ってしまったら、幸か不幸か気がつけば激流の真っただ中に居ることになってしまった私の体験談を縷々お話していこうと思います。

 インターネットというものが、日本のマスコミに殆ど登場していなかった頃、最先端チックに思われていたパソコン通信…。実は私共FMC(http://www.fmc.or.jp/)もいわゆる「草の根ネット」ってやつを開局してました。パソコン用語禁止の「文科系ネット」という特徴がウケて、熊本ローカルの草の根ネットのくせに日本中からアクセスが殺到するという驚くべき大ヒットとなったんですが、実はこのネット…寿命はわずか3ヶ月という超短命だったのでした。
原因は《負荷が懸かり過ぎてホストに使っていた10年前の化石PCがクラッシュした》という極めてトホホなもの。
全国の会員から「ホスト用の中古PCを寄贈したい」という有難いメッセージが何本も舞い込みましたが、結局再起することはありませんでした。
理由は「面倒くさい(笑)」…。会員になってくれた全国数百名の皆様には申しわけないと思いましたが、また一からやり直す気力がありませんでした。
でもこれこそが、FMCが《Webラジオ》として世に出るきっかけとなる大きなターニングポイントだったのです。要するに、パソ通にしがみつかなかった文科系人間のドライさが、軽〜く軽〜くWebに宗旨変えすることを可能にしたというわけです。

 さてさて『FMCの《文科系ネット》は面白かった!』という噂が、いろんな尾ひれをつけて全国に広がっていきました。
『FMCは熊本のミニFM局で、流している番組もかなり面白いらしい』『私は聞いたが確かに面白かった』などという《クチコミ情報》が、今度はニフティなどの超弩級パソコン通信上で飛び交い始めました。これは企画専門用語で言う「カットアウト効果」というやつの典型でして、絶頂期に姿を消すことによって噂を爆発させるというよくある手法です。
もっともこれは狙ってやったわけでなく《化石PCクラッシュ事故》という不可抗力によるものなんですが、まさにヒョウタンから駒!突然FMCへの見学者がドッ!と増えてしまったんです。

 見学者が増えるというのは決して悪いことではないのですが、何せスタジオ自体が狭いので、ドッと押し寄せると対応がとれません。それにいつも誰かが居るわけではないので留守モードも当然あるわけです。
そういったファン相手の広報活動に使えるツールとして私達が目をつけたのがまさに《Web》でありました。
元々Webというかインターネットの世界ではダイヤルアップ接続という《随時接続》はそもそもインターネットとは呼ばんそうで、本来は《常時接続》でないといけない…なーんて殆ど哲学的なお話もあります。しかしですねぇ、ルータやサーバを自前で構築する技術力は当時の我々にはありませんでしたし、幸い地元熊本にもプロバイダが細々と営業を始めていたということもあって、てっとり早くこいつを利用するのが簡単ということで、一気にWebサイト開設にスイッチすることが出来ました。まぁパソコン通信に未練を感じつつも固執せず、あえて再起を図らなかったのが幸いしたんでしょうね、1996年夏の事です。

 で、FMCのWeb化元年のお話です。だいぶ前にもこのコーナーで書きましたが、FMCは《何でも自前でやり抜く》のが大テーマになっていまして、パソコン通信のホスト局構築も、Webページ作りも、全て自分で勉強して技術を身に付けてから一気にやり遂げます。毎年恐ろしいほどにFMCがスキルアップしている理由はまさにここにあります。尚、来年は自前で天気予報も出しますから見ていて下さい。(笑)
さて、Webページ作りの教科書(しかも安いやつ)の大雑把な解説に悩みつつも、およそ1ヶ月でHTMLをほぼ体得していたわけですが、その教科書の中に「RealAudio」という小さいコラムがありました。読めば、音声ファイルをコンパクトに圧縮しWebでの伝送をしやすくさせるものらしい。音質は短波ラジオ程度だが、最大の特徴は全てのファイルをダウンロードし終わってからではなく、伝送しながら再生をするストリーム形式であるらしい。…という2点が書き込まれてありました。「おお、これは!Webでラジオができるかもしれない!!」そう直感しましたね。
その後、書店で他の同様な書物を調べまくりましたが、他のどの本にも「RealAudio」はまだ載っていませんでした。まだパッと出の方式のようでした。
実はその頃、大手パソコン通信などで噂を聞き付けたマニアから殺到する「FMCの番組テープ送付希望」の郵便に閉口していました。生カセットテープと切手を貼った返信用封筒を同梱した定型外の郵便への対応です。
こっちもそう暇じゃありませんから、いちいちダビングなんかしてられません。結果的に配付用の番組テープを計500本作って、それを無料配付することにしたわけですが、これもアッと言う間に無くなっていく始末…。幸い「不許複製」ではなく「複製許可」にしていましたので、ダビングされた子孫テープが一気に増殖。気がつけば数万本に増え在庫が底をつく直前にブームは沈静化しました。

 その時の教訓を元に「例え音が悪くてもWebで放送しはじめよう!そっちの方がずっと楽!」ということになり、急きょ「RealAudio」についての猛勉強がはじまりました。
ま、やってみれば大したことはなく、何と翌日には試験的に伝送実験を行い見事に成功。但し、この頃のヴァージョンは、ストリーム専用のサーバを購入しないとダウンロードによる伝送しかできないというもので、この頃はFMCも間借サーバでしたから契約プロバイダに「サーバを買ってくれぃ!」とも言えず、結局《非ストリームのオンテマンド放送》という状態での船出となりました。

「いよいよWebラジオ化!やはり珍しがられる」
まあ何かにつけ、先駆者ってのは必ず注目されます。私達FMCは非企業系のインディーズとしては既に日本最強のポテンシャルを持っていましたし、番組コンテンツ作りで言えば、コミュニティ放送はおろか県域局並の技術とセンスを持っています。な〜んて自画自賛を裏打ちするように「FMCはかなりスゲーぞ!」ということを見抜いたメディアの方々がすぐにFMCを発見。お陰で毎月どこかの雑誌に掲載されるという抜群の宣伝効果を発揮しました。

「やってみるもんですね。中身を誉められました!」
Web化してすぐ、RealAudioがヴァージョンアップしてストリーム専用サーバを用いなくてもHTTPベースでストリームが可能になりました。音質も短波から中波ラジオ程度に向上。ますますストリームの可能性に光が差し込んできたという感じでした。
丁度この頃、FMC自体もスキルアップしてましたんで、念願の自社サーバ化を果たし、当然の事ながらコンテンツを収容するサーバの容量も格段にアップ。3時間!というWebラジオでは最大級のコンテンツを毎週更新するという圧倒的パワーを発揮しはじめます。
この頃、80年代の素人ミニFMブームと同様にインディーズWebラジオが続々開局しますが、RealAudioなどのストリームアプリケーションの音質的なポテンシャルを無視して、無謀にも音楽番組やDJ番組など地上波ラジオの類型番組を興味本位で放送する局が結構出てきました。ま、大方の予想通り何ら独自性を発揮しないまま今ではその殆どどが消滅しています。

 FMCはそういうの媒体特性にまず目をつけていましたので、中波並の音質だったらやっぱ《トーク》でしょ。ということでトークラジオを標榜し、シニカル&アバンギャルドな哲学風番組を続々送り出しました。これが評判がいいんです。ま、当たったということになりましょう。それまでWeb専門誌でしか紹介されなかったのが、以後放送専門誌、文化雑誌、一般誌へとFMCの露出ベクトルが広がっていくという好結果となっていますので…。

別にストリームの牽引者をきどるわけではありませんし、FMCが技術的に優れた集団というわけでもありません。…地道に情報を集め、新しいテクノロジーの使い道を模索し、ポテンシャルを見極め、直ちに具現化する。という一連のプロセスを繰り返してるに過ぎないのです。ただその甲斐あって、気がつけば僭越ですがストリームメディアのパイオニアみたいに祭り上げられるに至っております。
去る8月11日には神奈川県川崎市の富士通Mで行われた国内最大級のストリームフォーラム「Streem'99」に私が招待されまして、ニュースキャスターの木村太郎氏、東京インターネットの高橋徹氏ら錚々たるお歴々に交じって講演して参りました。
このイベントのテーマは「2005年のストリームの夢」ということで、我々プレゼンターが独自の解釈で2005年のストリームをとりまく状況を占おうというものでした。まさに最先端のとんがった人達による八方破れの予測は、ストリームメディアというものが必ずや現行のメディア地図を塗り替えるものであるとの確信を抱くに余り有る…そんな有意義なイベントでありました。

前出の高橋徹氏によると、ちなみに高橋氏はご存じの通り「通信傍受法案」に技術者の立場から国会で堂々と文句を言った尊敬すべき人物ですが、ある会合の席で小渕総理に今後のネットワーク社会を展望するいいキーワードはないか?と尋ねられ「じゃ総理、国会でペタネットって言って下さい。いいですか?ペタですよ」と直言。翌日総理は記者団に向かって「ペタネットワークを作ります!」と言ってしまい、ギガの次はテラが来ると当然考えていた人達の度胆を抜いてしまったのは記憶に新しいところです。
一国の総理が「ペタ」って言ってしまった以上、ペタネットを作るのでしょういずれは…。(笑)
このようにネットワークインフラは確実に「ストリームに優しいベクトル」に推移しています。このコーナーでも私が何度か書いていますが、ストリームメディアと既存メディアが同じ土俵の上に立つ時代が《もうすぐ必ず》やってきます。
その頃、すでにパソコンなんていう概念は瓦解し、なんでもない家電品として、いつの間にか《TV電話+多機能テレビ》みたいな形で、子供やお婆ちゃんまでもが当たり前に、リモコンをカチャカチャやって「NHK→パーフェクTV→隣町のトメさんとの電話→FMC(!!)→フジテレビ→ドイツZDF→フランスA2→熊本県民テレビ→」てなワールドワイドかつマルチメディアなザッピングをやっていることでしょう…。そこに地上波だの衛星波だのケーブルだのWebだの電話だのと四の五の言ってる奴はいないのです。当然パソコン専門誌だって、かつて隆盛を極めたラジオ専門誌が絶滅危惧種になっているのと同様。一部のマニア向けキワ物マガジンになっていることでしょう。
メディアの特性を理解して、適切なコンテンツを作り出す能力を持った者だけが、近未来に登場するであろう電話帳並の厚さの「週刊テレビガイド」に紹介され、メディア戦国乱世をとりあえず泳ぐことになるのです。 そう考えるとストリームメディアは実に面白い。でも泳ぐのは結構難しい。実はそこに私は惹かれているのです。

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