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■音声版(24:13)/語り:榎田信衛門


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■テキスト版

『前書き』

FMC代表・榎田信衛門です。
2016年、FMCは創立40周年の大きな節目。多くの前向きなアクションを計画しておりました。
それが見事に吹き飛んでしまいました。4月14日そして16日の連続した大地震によって。

熊本市中央区大江3丁目『多目的文化情報発信施設lunedi』第1・第2・第4の3スタジオを擁するFMCの城はもう「ひっちゃかめっちゃか」‥。
壁は割れ落ち、床は抜け、物が散乱。
茫然自失とはまさにこのことです。

14日21時26分のマグニチュード6.5(熊本市中央区大江は震度6弱)は辛くも持ち堪えたのですが、28時間後、16日1時25分に発生したいわゆる「本震」マグニチュード7.3(同、震度6強)のダメージは甚大でありました。

これをFMC存亡の危機と言わず何と申しましょう。
一旦lunediから退避し、避難所(大江小学校)の校庭に停めた車から辛うじて放送を再開したものの、そこから先の「希望」や「復興のイメージ」というものは何ひとつ湧いてきませんでした。

何より、FMCスタッフ全員が被災者でした。
それぞれ難局を乗り越えるのに必死な状況です。皆、後ろ髪を引かれる思いでしたが、スタジオに駆けつけることがままならぬ状態で、マンパワーも決定的に不足。思い描いていた「防災放送」というイメージが、絵に描いた餅であったことを知りました。

只々憔悴していくだけでした。
「終わったな」‥震災後初めて風呂に入り、頭からお湯をかぶったとき。流れ落ちる黄土色の湯を見て正直そう覚悟しました。

しかし、このとき、日本各地いや国境を越えた多くのリスナーの思いが、熊本に!FMCに!と届き始めていたのです。其々のエネルギーが一つになり「神の見えざる手」となって、私達FMCスタッフの背中を後押しすることになります。

まずは、あの日のドキュメントから‥。



『激震!』

2016年4月14日(木)21時26分。
ここは熊本市中央区大江3丁目「多目的文化情報発信施設lunedi」内のFMC第1スタジオ。
FMC代表榎田信衛門は、自分用のデスクで、所属する在京制作会社から依頼された放送企画書を執筆していた。

地面全体がドンと突き上がった。
グラグラでもユサユサでもない、ゴーッと言うバイブレーター並みの激しい揺れの始まりだった。
電気は停電することなく灯っていた。
揺れの途中から携帯が緊急地震速報のアラームを響かせ出した。
強力なエアポケットに飛び込んだ航空機内のような振動。
「震度5?いや6だぞこれは!」
デスクの天板を両手で掴み、椅子に座ったまま両足で踏ん張った。
目の前の棚から書類が幾つか降ってきた。
足元に重ねていた小箱が次々に崩れ落ちた。
「大丈夫だ!この振動じゃ家は崩れん!踏ん張れ!」
隣室に居る見習いカエデとマコトノスケに向かって榎田は叫び続けた。


カットアウト。
唐突に揺れが収まった。まさにエアポケットを抜けた感じであった。

この間隙を縫って見習いカエデとマコトノスケがこっちにやってきた。
だがすぐに震度4クラスの余震。
「念のため一旦外に出よう」
通りに出た。
連発する余震で目の前の開新高校の旧校舎がガガガっと重低音を響かせる。
通行人も何が起きたのか分からず皆一様に不安な表情で歩いている。

LINEでスタッフの安否を確認した。すぐに全員無事であることが分かった。


ここから戦い(地震特番)が始まった。

「ブロック塀は危ないからなるべく距離をとって待機せよ」と2人に命じて私は再び第1スタジオに戻った。
足元に散乱している書類や小箱を足でザックリ蹴り退けて椅子に腰を下ろした。
ネットはつながっていた。

「さて何をどうするか? 落ち着け!」
余震は波状攻撃を仕掛けてくる。

現状レポート、FMCスタッフとスタジオは健在であることを伝えよう。とりあえずTwitterで発信。
22時7分にはマグニチュード5.8(熊本市中央区大江は震度5弱)が発生。そんな中でスタジオレポートを強行収録。そして22時19分に特別番組『熊本地方に大地震』を送り出した。

ここから22時42分、23時32分、日付が変わって4月15日00時34分、01時27分、06時36分、07時19分、09時04分、11時08分、15時01分、20時15分、21時の定時番組(日刊深夜快速金曜版)を挟んで21時05分まで12本の特番を流し続けた。
ちなみにこれらの特番はスタジオ機材を使用せず、ノートパソコンの内蔵マイクを使った簡易スタイルによる強行収録であった。

まさしく不寝番。榎田単独で放送を継続したわけだが、12本目あたりから「榎田いいから寝ろ!死ぬぞ!」というリスナーからの心のこもったメールが何通も届き始める。
余震も減少傾向にあったので一旦、デスクから離れることにした。

余談だが、15日の昼過ぎから、地震の専門家や自称研究家らとネットや電話でやりとりする中で「何かおかしい」「さらに強いのが来る」という分析?予感?が支配し始めていた。
皆一様に「断層がもっと割れていく。しばらく続く‥」の認識で一致していたのである。けれども大きいのは1週間後とか1ヶ月後、恐らくそんなスパンであろう‥という不確実なイメージであったのもまた事実である。仲間や家族に警戒するよう呼びかけを行う。

警戒態勢を緩めることなく、屋外に最も脱出し易い第2スタジオ(review)を本拠とすることにした。
榎田の家族全員この4畳半に身を寄せた。
テレビなど観つつ、このまま収束してくれれば良いが‥と思っていた。

日付が変わった。4月16日(土)‥。
榎田は、かれこれ30時間近く一睡もしていなかった。

01時25分。
地面全体がドンと突き上がった。

14日のそれとは明らかに異なる振幅。衝撃の強さが段違いであった。
マグニチュードが「1」増えると地震のエネルギーは約31.6倍になる。ちなみに対数なので「2」増えると1000倍である。

地震発生とほぼ同時に停電。真っ暗になった。
ゴーッと言うよりむしろジェット音に近い激しい揺れ。
ガラス戸が外れ、廊下側に倒れて脱出の障害となっていた。
無心で吹っ飛ばす。
撮影用LEDライトを点け、全員屋外へ。その間8秒。事前の訓練がモノを云った。

lunedi前の道。
ライトで照らせば、明らかにその風景全体が揺れている。
ドサッ、ガシャ、地震映画の効果音とは明らかに異なる鈍い音がそこかしこで鳴り響く。
警報機のサイレン、携帯の緊急地震速報、配水管が破れて噴出する水の音。

榎田は、道路に大股開きで仁王立ち。見習いカエデはうずくまって震えている。
地面が左右にユサユサと揺れる。小刻みではない堂堂たる縦揺れも加わっている。
まさしく大地震であった。

榎田の父親は関東大震災を経験している。その息子と孫は熊本の大地震だ。
あの揺れの最中、榎田は不思議と大笑いで仁王立ち。武者震いに近いかもしれない。本当に不思議な感情だった。
「負けるかぁー!」大声を上げた。
「皆さん!大丈夫ですか?閉じ込められていませんかぁ!」近所に向かっても大声で呼びかけた。
着の身着のままで家から飛び出した近隣住民にも「暗いので足元に気をつけて!」「家とか壁から離れて下さい!」とライトで照らしつつ声をかけまくった。

すぐにLINE経由でFMCスタッフからのメッセージが入った。続々生存が確認される。
比較的海岸に近い立花幸恵から「津波注意報が出たので避難中」という一報が入る。
「津波?」正直目を疑った。
ワンセグでNHKを見出したマコトノスケが「津波注意報が出ている!」と叫んだ。
思っていた震源とは異なる日奈久断層の西端でも割れたのか?と頭の中までグラグラし始めたのだが、津波注意報はすぐに解除となり、胸を撫で下ろした。

余震の間隙を縫って、ガレージから車を移動させ、隣接する月極駐車場(夜間はほぼ空き地モード)に拠点を構えた。
NHKラジオは「阿蘇大橋落下」「熊本城大破」など衝撃的な情報を続々伝えていた。

40分くらい経って電気が復旧した。
だがまだ揺れている。震度4とか5の大安売りだった。
その中、単身スタジオに踏み込んだ。
ガタガタ揺れる室内。スタジオは煌々と照明が灯り、衝撃で起動したDVDが「QIC:990」の音声を鳴らしている。家具は全て金具止めしていたので無事であったが、中のCDなどが床に散乱している。
土壁が割れ落ち、ものすごい土埃。トイレは床が抜け、風呂場の壁も外れていた。

「だめだこりゃ」‥本当にそう呟いた。だめだこりゃ。そうしか思えなかった。

スタジオのだらんと垂れ下がったマイクを見て、もう此処でラジオなど録れるわけがない‥そう諦めかけた。

無事だったノートパソコンを取り出し、QIC:990がリピートで鳴り響く第1スタジオを出て車に戻る。

暗黒の空からは、空自と思しきジェット戦闘機や所属未確認のヘリコプターが飛び交う音。四方八方からサイレン。
殆ど戦場であった。

4月とは言え真冬並みの気温で凍る熊本の街。
駐車場のアスファルトの上に思わず大の字になった。アドレナリン過多の火照った身体には冷却が必要だった。
背中の真下がドドドっと揺れる。全身で感じる地震。
「地震は腹一杯だよ‥」思わず呟いた。

さてこれからどうするか?
東の空がかすかに白み始めていた。


‥以上が4月16日払暁までのドキュメントです。




『リスナー動く!』

本当にどうしていいか分からなくなっていました。
しばらくしてノートパソコンを起動しました。
ネット接続(wimax)は無事でしたからメールチェックとかは問題なしでした。

すると、数名のリスナーさんからのメールが届いていました。
異口同音に「心配している」という内容でした。
そして「大変だろうけど頑張って欲しい。何もできないが義援金を送る」とありました。

最初は正直なところピンと来ませんでした。自分が被災者だという認識が希薄なのです。
夜が明けて、近くの大江小学校(公設避難所)に移動し6時間ほど車中で泥のように眠りました。

お昼過ぎ。起きてから特番枠でQICを1枠だけ車中から放送しました。

さてさてこれから如何したものか。
菊池市にある妻(フィラリア井元)の実家は無傷で入浴も可能ということでしたので、風呂を借りに移動。
前文でも書きましたが、頭からお湯をかぶったとき。流れ落ちる黄土色の湯を見て驚きました。
土ぼこりに塗れていた自分の姿に愕然としたのです。まるで、映画『日本沈没』のクライマックスのような有り様だったのです。

「(全て)終わったな‥」

翌日でしたか、どうやらATMは動いているとのことで所持金が心細かったこともあり近くのATMに行きました。
ついでにFMCの口座残高も見ようとカードを突っ込んでみると「あれ?なんだか変だぞ」‥今度は通帳記入をしてみます。吐き出された通帳を開いて私は事実を知ることになりました。

何人もの方々からお金が振り込まれていました。
見覚えのあるお名前もあれば、初めてのお名前もありました。
その額、30万円を超えていました。

ATMから避難所にむけて歩きながら、ポロポロと涙が落ちてきました。
地震の直後だからあちこちで泣いている人がいましたので、そう不思議な姿ではなかったかもしれませんが、泣きながら歩いたなんて小学生以来です。

避難所に戻り、メールをチェックしました。
さらに沢山の激励が届いていました。
その一部ですが抜粋してご披露させて頂きます。



「がんばって 陰ながらひっそりと応援してます」

「このFMCを、放送を是非続けて頂きたい。微力ながら応援させて頂きます。頑張れ熊本!頑張れ九州!頑張れFMC!!」

「まだまだ余震が続いており、暗い気持ちになりがちですが、この災害を期に、新しく生まれ変わるFMCを祝しての募金です!」

「今まで投稿したことはありません。けれど何年も聴いています。榎田師匠、キラ裕師匠、花岡山師匠はじめFMCの皆々様が全員無事だと知って涙がこぼれました。大変な状況であるにも関わらず放送を続けるFMCは本当に凄いです!」

「10年以上、毎日楽しみにきかせていただいてます。主人が他界した時も、とても励まされました。遠いテキサスからでは、これくらいのことしかできませんが、これからも、この苦境に負けずに発信し続けて下さい。応援してます。」

「師匠!大変でしょう。何も言わん。お金を送るから使ってくれ。使い道は自由だ!」

「本物の土着ジャーリストを死なせてなるものか!頑張れFMC!」

「いつもFMCの番組で元気をもらっています。僅かですが恩返しをさせて下さい。がんばれFMC!!」

「お父さんが応援しているFMCに送って!と3歳の娘が500円くれました。これに私達夫婦の分も足して家族揃ってお送りします。」

「東日本大震災ではFMCに心強さを頂きました。些少ですがその恩返しをさせて下さい!」

「復興に向けてこれからが大変かとは思いますが、関係者皆様の健康・安全と、一日も早く平穏な状態に戻れるよう心からお祈り申し上げます。」

「福島県民はFMCの味方です。何が何でも応援しております。」

「台湾から熱烈応援!加油FMC!」

「FMCが元気になれば熊本を元気にできる。」

「熊本の復興を、心より応援しております。頑張れFMC!! 陰ながら応援しております。」

「遠く離れた日本をFMCを通じていろいろな角度から見ることができる FMCは私の日課、パワーの源です。熊本、いつか出掛けてみたいな…。FMCはリスナーに支えられています、復興に向けて心が乱れることも多くあることと思いますが、復興に向けて前進できますよう、遠くメルボルンの地から応援しています。」

「1日も早く今までの日常が戻ることを願っております。」

「こちら(ロンドン)でも大きく報じられています。本当に心配です。でも榎田師匠の声が聴けて本当に良かったです。勝手に募金します。何かの足しにして下さい。」

「被災された皆様にお見舞を申し上げます。週明けに仕事を始める際のカンフル剤として、いつも拝聴させていただいています。皆様の生活やスタジオが一日も早く復興されますようお祈りしております。」

「何があっても放送を続ける榎田さんとFMCスタッフの皆さんに頭が下がる思いです。新スタジオへの移転だけでも大変かと思いますが、ますますのご発展を祈念致します。」

「I Love You & I Need You FMC.」





『感謝!』

初めてお名前を拝見するリスナーさんからも沢山の激励を頂戴しました。
国境を越えて、各国にお住まいのリスナーさんからも熱い思いが寄せられました。



時々こんなことを問われます。「榎田さん、FMCですよ、いったい何のためにやってるんですか?」

私自身「何のためにやっているんだろう」そう悩むときもありました。

しかし、これらのメッセージを読んで確信したことがあります。


「私自身のため、支えてくれるリスナーのため、そして未来のリスナーのため、私はFMCで放送を続けていきます!」


ここで終わらせてなるものか。

心のギアを「前進」に入れてアクセルをバシッと踏み込んだ瞬間です。



ここから約4ヶ月に渡ったスタジオ復興(ケ号作戦2016)が動き出したのでありました。


すべてのリスナーに、心から謝辞を申し上げます。

FMCは、リスナーの皆様のエネルギーによって今回の難局を乗り越え、そして次なるステップに歩み出すことが出来ました。


本当にありがとうございます!


----- FMCスタッフ、OB&OG一同


2016jishin


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